妙な端午の節句のあり方




トンネルを抜ければ、そこは別世界だった。

 お決まりのフレーズと化した、一種のファンタジーをかたる文。
 それは数々の非常識と事件に巻き込まれた鳴海歩少年でも、今まで経験をしていなかった一文だった。
 自分の周囲では非常識をしょって堂々と歩く人間は数しれないが、あくまでそれを『非常識』といえる常識がなければ非常識とは言わない。よって自分が暮らす日常=社会は彼らの常識を『非常識』と認識する社会であって、一般市民にとっての非常識を常識とする別世界ではない。
 そして兄やその他もろもろに巻き込まされた事件がいくら奇妙な事件だからといって、その最中や後に平穏極まりないみずらの日常が別世界になるわけもない。
 しかも彼は面倒の一言で旅行もしぶり、行ったとしても冷静にその場所が他とは違って見えるわけを推察し、実際はどこも同じだと言わないまでも結論を下した可愛げのない子供だったのだ。
 だから別世界と呼ばれるものに未経験ではあった。一度くらいは素直に人様が思う『別世界』を感じておけばよかったと今更考えてなんになるものでもないが、とにかく鳴海歩が別世界と言うものに未経験だったのには違いない。
「・・・・・・」
 歩は声のでない口をあんぐりとあけて、混乱する思考と瞬時に理解した頭で目の前に広がったものを凝視した。
 まさに「トンネルを抜ければ、そこは別世界だった」。もとい、歩風に言い換えれば「自宅のドアを開ければ、そこは別世界だった」。
 もっと詳しく言えば、彼の目の前にあるのは、アヤメ。馴染みがありすぎてうっとうしいこと極まりない、今が咲きほこり絶頂期であるアヤメの花。
 その点についてはなんら変わったことはないが、傍目にもはっきりわかることがある。・・・そう、嫌になるくらいわかること。
 彼の視界には、ほんの一時間前に見た鳴海宅のダイニングの面影はない。
「・・・・・・っ」
 紫の花弁だけをもったアヤメの花が、これでもかと言わんばかりに床一面に敷き詰められている。そして、どっから持ってきたのかわからない紫のダブルベッドのその横で、天下の美貌天然策略ピアニストであらせられるアイズ・ラザフォードが、同じく紫の一人掛けのソファに座り、藤色のガウンを着てワイングラス片手に青の瞳でじっと此方の出方を伺っている。
 まさに別世界。いやむしろ「ワンダー・アイズ・ファンタジック・スペース」。
 日本語訳で「驚きのアイズ不思議空間」。・・・よくわからない。
 いや、それよりも目の前の事実がわからない。
 言葉なく見つめ合うのにもとうとう堪えきれなくなったのか、アイズはゆるりと口を開く。
「遅かったな」
 それを皮切りに、歩はウサでも晴らすみたいに心の中だけで叫んだ。

 あほかーー!!

 思いっきり頭をかかえる彼の様子は誰がどう見ても不幸真っ只中にしか見えない。
 誰でもいい。頼むからアイズ・ラザフォード専用直訳機をくれ。まじな話。
「お前が戻ってくる前に準備が終ったぞ」
 何の準備だ。
 そう問いただしかけた歩に、ある嫌な予感がよぎる。
「まさか・・・」
 否定しながらも、カレンダーは嘘をつかない。手から離れたビニール袋が地面に叩きつけられて、買ったばかりのタケノコがごろりと玄関を転がった。
 本日、五月五日。俗に言う子供の日。
 変わることのない現実に、頭が痛くなって無意識に歩は手をやった。
 希少価値にも等しい美しい銀髪と宝石のような青の瞳を白魚の肌にまとって生きている、現実離れした天才少年ピアニスト氏は、なぜだか日本文化に多大なる興味を示している。
 ご本人がおっしゃる事によれば「伴侶の文化を知っておこうと思ってな」とのこと。
 意味深でもなんでもない率直な愛のささやきに、嬉しさよりも照れくささよりも、まずはじめに頭痛がやってくる当の伴侶候補には何の罪もない。
 なぜなら、過去数度にわたった日本文化の体験は、全てとは言わないまでも、ほとんど六十度ほど異なった方向に曲がった行事ばかりだったからだ。
 戦歴に近いそれらの過去を知っているがゆえに、衝撃を瞬時に消し去ることのできた鳴海歩は、感情に追いついてこない体で、ゆっくりと一字一字はっきりと言った。
「それがどうした」
「それが、とは」
「お前にとりあえず留守番を任せた俺に、何か言うべきことはあるか?」
 半眼で玄関から動こうとしない歩に困ったように、アイズは持っていたグラスを置いてなにかをベッドから取り上げた。
「とりあえず着るか?」
「誰が着るかっ! だいたい俺が言いたいのはそんなことじゃ、ないっ」
 誤魔化すように差し出された揃いの紫のガウンを、転がったタケノコを投げて瞬時に叩き落した。
 アイズの手を傷めることなく、ガウンだけを亡きものにしたブレチルの能力にも匹敵する命中力に純粋な賛辞がうかんだ瞳をとりあえず無視すると、歩は鬱屈を晴らす。
「上下左右にアヤメアヤメアヤメ。ここはなんだ?世界有数のアヤメの産地か?」
「本数でいえば一万はくだらないだろうな」
「あーそうかい」
 なんでこんなナマモノを好きなんだろう。
 それは森羅万象にもわからない、人間の脳の不思議だ。
「・・・あしらい方がアサヅキに似てきたな」
「今、あいつがなんであんな性格になったのかよーくわかった気がするよ俺は」
 少し目を細めたアイズに、これ見よがしにため息をつく。
 おそらく四六始終、この調子で彼もしくは彼女にふりまわされた浅月香介は、苦労を経験しまくって、ついにはあんなへたれになってしまったのだ。
 同情する余裕はないが、将来の自分の姿にはするまいと固く決意した。
「で。いったい俺が姿を消した一時間の間になにをしやがった」
「なに、とは。見てわからないのか?」
「そうじゃない馬鹿。人の話を聞け。だから俺が聞いてるのはな、買い物に行った一時間あまりの時間を使ってこの部屋をなんでアヤメまみれの部屋にしやがったんだってことなんだけどな」
 末恐ろしい笑顔でアイズに尋ねる。
 人間、本当にどうしようもない時は泣くか笑うしかないものだ。
 めったにない満開の笑顔に、プレッシャーにも似た恐れを抱いたアイズは、一呼吸おいて口を開いた。
「子供の日の花はアヤメだからだ」
「だからってアヤメだらけにするか? 第一『菖蒲湯』の菖蒲はアヤメじゃなくてショウブだド阿呆」
 近くにアイズがいたら蹴っていたかもしれない歩は、ざっかざっかとアヤメをかき分けてアイズに近寄る。靴ははいたままだが、アヤメを片付けることを考えれば土足だろうが苦労は同じだ。
 そうして一メートルの距離を残して立つ歩を見上げて、再びワイングラスを持ったアイズは目をまたたく。
 グラスの中身は、紫まみれの部屋にあってひどく心安らぐ透明な液体。近くにいて匂うこの香りを信じるならば、おそらくはなんかの酒だろう。
「いいや。やるならアヤメだろう。古来はショウブも『アヤメ』と云われていたと言うしな」
「呼び名がなんであろうと品種が違う。アヤメは薬草じゃないだろうが」
「・・・そうなのか?」
「知らなかったのかよ」
 わずかに驚いたアイズにがっくりと頭をたれた。
「被害状況は?」
 端的な言葉で全てを理解して、アイズは答える。
「寝室には被害はない。ここは見てのとおりだ。風呂場は・・・」
「なんだよ」
 珍しく言葉をにごすアイズに、不機嫌に先を促す。
「風呂場は、浴槽にアヤメの花のみを詰めてある。・・・後で使うつもりだったからな」
 なんの為に、とはもはや聞く気力もない。
「どうやら、お前は俺に対する嫌がらせを徹底したいようだな・・・」
 歩にとって、アヤメは一番嫌いな花だ。それは花に罪がなかろうがあろうが、あのくだらない花言葉をもつ時点で決定事項だ。
 アヤメの花をもってアホ笑いをする兄・鳴海清隆を思い出して、ふつふつと湧き上がってきた怒りに身を任せようとする。
 目の前の恋人の気持ちの変化に、動じていないアイズがあくまでも涼しげに一言。
「怒ったか」
「誰が怒らせてんだっ」
「俺だな。・・・お前の怒る顔というのも意外なものだ」
「・・・俺より喜怒哀楽の乏しいあんたには言われたくなかったな」
 真顔でうなづく彼に脱力。
 やや拍子抜けした歩のその一瞬を逃すことなく、アイズは引き寄せて唇を奪う。
(は?!)
「・・・まあいい。目的は果たせるようだからな」
 悪趣味な紫のダブルベッドに強引に体を持ってかれ、いまだ混乱する頭のまま、歩はおそるおそる訊ねた。
「目的、って」
「子供を祝う日に大人の行為にふけることだ」
 あくまでも涼やかに、だがはっきりと言ってのけるアイズの下、ぷちりと切れた音がした。




「(今回は)そっちが目的かーっ!」




 彼に惚れられているかぎり、鳴海歩少年の平穏は多分ない。










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Thanks!
10万HIT記念フリー小説、"雨天中止"の樹月様より戴きました。いつもいつもこのぼっけーアイズ様に楽しませていただいているので、フリーなのをいいことに喜々として強奪です。
アイズ様、やっぱり"ナマモノ"扱いです。ああそのノリが大好きです〜v
そして歩君には因縁の"あやめ"ネタ。相変わらずなアイズ様の暖簾にうで押しな歩君へのラブラブ攻撃にやられっぱなしです。
むしろこちらが楽しませていただきましたが(笑)、10万ヒットおめでとうございます樹月様。