信号が青になったばかりの駅前通りは人がごった返し、車道も歩道もほぼお構い無しに近い状態で。自己主張の激しい原色の黄色に塗られたガードレールは道路交通法違反者に捻じ曲げられながらも何とか境界線を保っていた。
 しかしそれの上に腰を下ろして駅方向に視線をぼんやりと向けている人間がいるようでは役目をまっとうできているかは疑問である。実際その道は歩行者天国になりかけているので、問題はない。

 ないと思いたい。

 さっきは背中から1メートル先を車が走っていったが特に危なげもなかったので危機感も持たずにコナンはガードレールに浅く座ったままだった。
 また新しい電車が到着したのか、駅から吐き出されてくる人々を一瞥してコナンは微かに溜息を吐いた。
 待ち合わせの相手も自分も人込みを好むタイプではないのに、わざわざこんなところで待ち合わせてしまったことに後悔して。
 昔かけていた、子供の顔には大きい父親の黒縁眼鏡ではなく自分用のフレーム無しの眼鏡を一度外して、無造作にシャツの端にレンズを擦りつけた。面倒がって癖になったこの仕種を見る度「レンズが傷つく」と呆れられるが、とりあえず汚れが落ちればそれでいいと思っているコナンには意味のない忠告だ。
 あまり長く外しているのは望ましくないから、俯いていた顔を上げると同時に眼鏡をかける。大差ない視界を一度ざっと見回して、またぼんやりと視線を浮かせた。
 背後で流れていた単音の『とおりゃんせ』が不意に途切れて、人の足も止まる。
 ガードレールの端に座っていたコナンは、それにあわせて真横に立ち止まった気配に気付いて青空に融かしていた瞳を2、3度瞬かせた。


「元気?」


 気安い友人に声をかける軽さで訊かれて、コナンは一拍の後に低く笑い出した。
「っく…はは…オメー…」
「えぇー…笑うか?」
 不本意そうな声に「悪ぃ悪ぃ」と悪気も無さそうに謝りながら見上げると、隣りで見知らぬ青年が膨れ面を晒していた。
「まさか生きてるとは思わなくて」
「酷いな。勝手に殺すなよ」
「もう10年近く音信不通になってんだぞ?」
「そりゃ静かに冥福を祈るに値するな」
「だろ?」
「でもそんなきっぱり諦められてるとは思いたくなかったっつーか」
「あめーよ」
「ホント。名探偵のこと見縊ってたよ」
 ざわざわとさざめく言葉の群れ。ひとつひとつを聞こうと思えば会話を追う事は出来るのに、自分の会話に夢中になれば虫の羽音程も気にもならない。

 つまり内緒話にはお誂え向きときた。

 ふと思い出したように腕の時計に視線を落として、コナンはまた駅へと視線を向けた。
 それを追った相手が「待ち合わせ?」と訊ねてくる。
「そ。そろそろ来ると思うんだけどな」
「……付かぬ事かもしれないけど、さ」
 珍しく遠慮がちな声音に首を傾げて促す。
「もしかしてデートとか言いますか」
 飄々とした表情は変わらないのに、その瞳にやたら直向きな色を見つけてコナンは再び笑いの発作に襲われた。
「そうだけど?」
 どうにか衝動をやり過ごして出来る限りのポーカーフェイスで事も無げに肯定する。少し意地悪げな表情になってしまったのは仕方がない。
 相手の顔が見事に表情を失うのを見てほくそ笑む自分の性格の悪さにちょっと虚しくなりつつ、このくらいして当然だという思いがそれを後押ししてしまう。

 だって嘘は吐いていない。

「相手、訊いてもいい?」
「……ダメ」
「なんで」
「いやなんとなく。」
 正直に答えると、相手がひとつ溜息を吐いた。ムカツク。
 なぁ、分かってるのか?
 俺は怒っているんだ。


「分かってる」


 まるで思考を読んだような応えにぎょっとして顔を上げると、思った以上に真摯な眼差しにぶつかった。
「けど、」
「けど?」
「…名探偵の1番特別な人の座はもう空いてない、か?」
 勝負時を誤らない、夜の住人がそこに蘇ったようでタイミングが悪いことにまた笑い出したくなった。さすがに笑いはしなかったが。
 駅の方に色素の薄い、待ち合わせ相手の髪を見つけてコナンはガードレールから腰を上げた。
 少し見回してこちらを見つけた待ち合わせ相手が、自分の隣りの人物を見て息を呑んで立ち止まったのが分かる。それに苦笑してからジーンズの汚れを気休めに叩く。
「あのな」
 立って並んでみると相手に身長が少し足らない。
 予想していたことだ。まだ自分は過去の自分の背丈にすら届いていない。
「工藤新一は俺が殺しちまったし」
 自嘲するような、小さな声に相手が顔を強張らせた。

 自慢のポーカーフェイスを崩してどうする。

 内心でそう言いながらコナンは少し高い位置の相手の額に指を伸ばして、思いっきり弾いてやった。
「いって!」
「俺の1番はすでに予約済みなんだよ」
「………っ!」
 額を押さえたまま何か言いたげな相手に、久しぶりに顔の筋肉が豪快に緩んだ。



「もう何年も前から、どっかの誰さんかにリザーブされててな」



「それって…っ」
「丁度いいからお前荷物持ちな」
 呆れたように人を掻き分け傍によってきた本来の待ち合わせ相手に笑いながら同じことを告げると、小さく息を吐いて「そうね」と頷かれた。
「貴方じゃちょっと頼りないものね」
「うるせーな。一応ちゃんと手伝ってやってるだろ」
「そうね。役立たずではないことは認めるわ」
「オメー素直さが足りねーぞ絶対」
「十分よ」
「おら。置いてくぞー」
 隣りで呆然としている相手を叩いて歩行を促すと、不意にその顔がまた歪んだ。
 それを見なかったことにして、先に歩き出した1人を追って一緒に歩き出す。
 遅ればせながら、その耳に、小さな囁きを落とすことは忘れずに。



「おかえり」



 これが俺の選んだ道。
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BUMPの"ロストマン"の歌詞を読んでて思いついたのに気付いたら別物に。