>> 交差点 / 交錯点




「お邪魔しまーす…あ、おはようございます」
「おはよう、青子ちゃん」
「快斗、上ですか?」
「そうよ。お出かけ?」
「ケーキが美味しいお店見つけたから一緒に行く約束したんです。お土産買ってきますね」
「あら、ありがと青子ちゃんv」
 甲高い(一般にはあれを可愛らしいと形容するらしい。白馬談)声が届きながら、夢の世界への未練が捨てきれずに快斗はせめてもの抵抗に、耳を塞ぐように薄い掛け布団の中にもぐりこむ。大した効果は見込めないが。
「快斗ー!快斗ー?起きてるー?」
 ノックもなしに入ってきた幼馴染を今更咎める気もないが、素直に反応する気もない。
「快斗ったら!」
 布団ごとゆさゆさと揺さぶられ、快斗は布団の中で呻く。
「あと1時間…」
「なに言ってんのよ!お昼過ぎると込んじゃうから早く行こうって言ったの快斗でしょ!?」
 本人とて実際に1時間待ってもらうつもりもない。言わばお決まりの愚図り文句だ。
 青子の悪酔いを起こしそうな三半規管への攻撃にさすがにベッドにしがみついていることを諦めて快斗は布団から出た。
「下でおばさんの手伝いしてるねー」
 快斗が起きたのを確認して青子は忙しく部屋を出て行く。ベッドの上で伸びをしながら、快斗は窓の外を見た。
 気持ちいいくらいの青い空から眩しい日差しが見えて、快斗は少し機嫌を上昇させた。











「新一!こっちこっち」
 欠伸を噛み殺しながら、手を振る幼馴染に連れられるがまま新一は駅前の映画館の列に加わる。
 公開前から評判の恋愛映画は、休日とはいえ1番早い時間だというのに物凄い人である。
 ナイターにすれば、それこそカップルでごった返すに違いない。それよりは眠気を噛み締めて朝から連れてこられる方がまだマシといえるかもしれない。
 そんな新一の様子を予測していたのか、蘭は笑って新一にガムを差し出す。
「おーさんきゅー…」
「よく起きれたわね、新一」
 朝から蘭もモーニングコールしたが、出るのが遅い上に声は眠たげで本当に待ち合わせ時間に来るのかと疑ったものだが、新一はちゃんと待ち合わせの5分前にはその場にやってきた。
「隣りのお人よしがわざわざご丁寧に起こしてくれたからな」
「あ、哀ちゃん?じゃああとで何かお礼持って行こうかな」
 蘭はすぐに納得したが、彼女は哀をただの小学生だと思っているので新一を起こしたその方法を確実に誤解している。
 しかし小学生の女の子に叩き起こされるよりは哀に一服盛られる恐怖に怯える方がまだ耐えられるかもしれないと思うのは、コナンの時に経験した歩美やその他の子供達のテンションの高さを鑑みてのこと。
「哀ちゃんって何が好きなの?」
 モルモットとコーヒーじゃねーの、と内心思いながら新一は無難な答えを探して結局「分からない」と告げた。
「もー…真剣に考えてよ」
 真剣に考えて、蘭を納得させる答えは思いつかないのだが。
「お茶菓子買って行けば博士も喜ぶんじゃねーか?」
 とりあえずそう答えれば蘭が「そっか」と頷いたので、新一はようやく包みを開けてガムを口に放り込んだ。










「あ、そういえば今日あの映画の公開日なんだ」
 窓際の席を取ると、青子が座った途端にそう言った。
「あの?」
「うん。なんか前評判がすごいの。アレ」
 青子が横断歩道を挟んだ向こう側に建つ駅前の映画館の看板を指差す。そこには見たことのある俳優が写真映えしそうな化粧をされて写った、いかにもな広告があった。
「来週恵子と見に行くんだー」
「へー」
「快斗、興味ない?」
「あるわけないだろ」
「でもホント楽しそうなんだよ!あのね、原作書いてる人が…」
 要は自分の仕入れた情報を話したいだけだと悟って適当に聞きながら、快斗はアイスココアをストローで啜る。
「…っていう、この前ベストセラーになったミステリーあるでしょ?」
「……ミステリ?」
「そう。それ書いた人が書いたんだよ、確か」
「ってことはミステリなのか?」
「ううん。ジャンルは違うみたい。でもなんかストーリーが上手いらしいよー」
「ふーん…」
「あ、興味わいた?見てきたら教えてあげるよ」
「はいはい。どうせ自分が喋りたいだけだろ」
「酷ーい。青子は快斗が知りたいだろうなーと思って言ってあげたのに」
「アリガトウゴザイマス。」
「あ、1クルー終わったみたいだね」
 快斗の熱のこもらない礼に何かを言う前に、ぞろぞろと出てくる人の群れに気付いて青子は視線を逸らす。それにつられるように外を見て、快斗はくわえかけたストローを放した。
「あれ……」
「あれ?アレって…あの、えーっと…」
 『あれ!』と指を差す青子を窘めることすら忘れて、快斗は映画館から出てきたある人に視線を持っていかれていた。

―――工藤新一?」

「そうそう!じゃない?新聞で見た時、ちょっと快斗に似てるなーって思ったんだよね」
 人込みの中から意外なほどすんなりと見つけてしまった顔の隣りに、青子に似た面立ちの女の子を見出す。どうやらあちらも幼馴染に連れ出されたようだ。
「あ、女の子と一緒だ。可愛いねー」
「お前ちょっとは落ち着いて食えよ…」
 まるで自分の視線を追っているのではと思うくらいに目に映す物がことごとく同じ青子に、快斗は誤魔化すように相手の皿を指す。そうしておきながら快斗自身の視線は交差点の信号待ちをしている2人、正確には1人に釘付けだ。
 映画の後はどこかで食事してショッピング、が定番かな、なんて想像している内に信号が青になって、新一は蘭に腕を取られて斜め向こう側の通りへと歩いて行って快斗の視界から消えた。










「なに食べよっか?」
 信号待ちの間に駅前から見える店をぐるりと見回して、新一は有名なファーストフード店に視線を止める。
「ファーストフードとか」
「せっかくだからもっとちゃんとしたもの食べようよ」
 確かに小洒落た店もそこそこあるが、蘭はムードが欲しいわけではないだろう、今更。新一は特に食べたいものもなければ味にうるさく言うつもりもない。ささやかな願いとしてはコーヒーが美味ければ、というところだ。
「あ、新一。あそこ」
「…あそこ、ってあの洋菓子屋?」
「そうそう。あそこのケーキ、確かすごく美味しいって評判なの」
「まさか昼飯ケーキとか言う気か?」
「違うわよ!哀ちゃんたちのお土産!」
「あぁ。なるほど」
「お昼食べてからでいいから、後であそこ寄ろう?」
「分かった。で、昼は?」
「あっちのスパゲティ屋さん行かない?」
 蘭が店を示した途端に信号が赤から青に変わり、蘭は待ちきれないように新一の腕をとって横断歩道を渡りだした。
「急がなくても店は移動しないって」
「もー。混んじゃうでしょ?早く!」
「はいはい」
 腕を引かれるままに従って、新一はスクランブルの通りを斜めに横断していった。










「快斗はどれだと思う?」
「んー?そうだな…」
 1時間かけて2人でケーキ4つを味わって、さらに家へのお土産を物色中。
 ショーケースの中のケーキはどれも美味しそうで、お互い目移りしてしまうのは仕方ない。
「ショートケーキがスタンダードじゃないか?」
「シフォンケーキも美味しそうだよ?」
「アップルタルトもしっとりしてて美味そうだけど」
「でもでも、ガトーショコラも捨てがたいよぉ…」
 放っておくとショーケースの中身ひとつずつ網羅してしまいそうな2人だが、それでもどうにか店員の好意的な微笑み混じりのオススメにより、やっと選んだケーキの会計を済ませ、保冷剤付きの箱を大切に持って店を出た。
「そういえば、おじさんにもなんか買ってかなくていいのか?」
「どうしよっかな…お父さんケーキとかあんまり好きじゃないし…」
「たまには服とか買ってあげれば?涙流して喜ぶぞ」
「だってお父さん最近キッド捕獲に燃えてて普段着あんまり着ないし、Yシャツはあんまり凝ったの似合わないでしょ?」
 頬を膨らませた青子から微妙に視線を逸らして、快斗は駅前のデパートを見上げる。見上げた後に激しく後悔した。
 同じように視線を上に向けた青子は、快斗の視線の先に気付いてにっこりと笑う。
「新鮮魚介フェアだって…なんか珍しいものとかありそうだね?」
「いや、別に、な?」
「今日はお魚にしよー。お父さん久しぶりに早く帰ってくるしv」
「じゃ、じゃあオレは先に帰って…」
「なによー。青子1人にして帰るなんて酷い!」
「酷いのはどっちだ!?」
「あ、ほら信号青だよ!快斗!」
「イヤだからオレは先に帰らせてくれ頼む!」
「ダメー。いい加減好き嫌いなんて恥ずかしいわよー?」
「どれだけ人生にダメージを与えようとオレは“アレ”だけは好きになんてなれーん!!」










「あ…新鮮魚介フェアだって。夕飯お魚にしようかな…」
「デパートで“新鮮魚介フェア”ってなんかおかしくないか?」
「そうかなぁ…北海道フェアとか色々あるよ?」
「ふーん。混んでんだろ?」
「まあねー…でもまずはケーキからね」
 魚を買うかどうかはひとまず置いて、2人はスクランブルを挟んだ向こう側にある洋菓子店へと足を運んだ。
 今時古い木製の戸を押し開くと、カラン、と小さくベルが鳴って、「いらっしゃいませ」の声がかかる。
 席へ案内しようと出てきた店員の言葉を断って、レジ横のショーケースを覗き込む。豊富な種類のケーキはどれも美味しそうに飾られていて、蘭はどこか嬉しそうに困っていた。
「哀ちゃんどんなのがいいかなぁ」
「あんまりごてごてじゃない方がいいと思うな」
「じゃあガトーショコラかな…新一は?あ、レモンチーズタルトだって。これにする?」
「任せる」
「もぉ。選び甲斐ないなぁ…。博士はショートケーキかなぁ…」
 ショーケースの中を覗きこむ蘭を横目に、新一はレジ脇から続く奥のカフェテリアに視線を流す。
 するとまさに出会い頭にばったりといった感じで、店員の一人と目があってしまった。
 その目になにか困惑のような色を読み取って、それが気まずさと言うよりは驚きだということに気付いて、目をそらそうとした瞬間には彼は新一に向かって来てしまっていた。
「あの…」
「はい?」
 外面だけはキレイに繕って、新一は呼びかけに首を傾げた。
「先ほどいらしたお客様です、よね?」
「……え?」
 予想外の言葉に、今度は新一の方が困惑した。
「多分ここにくるのは初めてですけど」
「え…」
「なにか?」
 生来の詮索好きというか、厄介事は掘り起こしたくなるというか、様々な部分から湧き出す好奇心のせいで新一はとっさに訊きかえしていた。
 その慣れた切り返しに思わず、という風に相手は答えてしまう。
「テーブルに忘れ物がありまして、お連れ様のものではないかと…」
 と言って差し出されたのは携帯電話。
 ピンク色の折り畳みのそれは、明らかに女の子のモノ。
 「失礼」と断って携帯電話を開くと、そこに貼られたプリクラに確かに蘭そっくりの顔があった。
 しかしあくまで『そっくり』であって、本人ではない。
「新一ー?どうしたの?」
 会計を済ませた蘭が店員と話している新一を訝り丁度よく近づいてきたので、新一は手の中の携帯電話を示した。
「コレ、お前のじゃないよな?」
「え、うん。違うよ。どうして?」
「…だ、そうです」
 苦笑して返そうとしたところで、マナーモードになっていたそれが、唐突に震えだした。










 結局「デパートの外で待っている」とだけ告げて“新鮮魚介フェア”とやらの会場から命辛々逃げ出した快斗は、ふとさっき行ったばかりの洋菓子店に目を留めた。
 さっきは2個しかケーキを食べられなかったし、家へのお土産でも全種は食べきれない。


 やっぱりチャンスは逃すべからず、だよな。


 “アレ”の気分直しが欲しかった快斗は、即断してデパート前のスクランブルの信号を待った。
「っと…青子に言っとかないと…」
 ポケットからケータイを出して、履歴に残った番号を選んで通話ボタンを押す。
 電波状況のいい街中で、そう待たずに呼び出し音が響きだした。
 だが一回、二回、と続く音がいくつもいくつも募って、快斗は首を傾げた。

 電波状況が悪い。
 “アレ”を探すのに一生懸命で気付かない。
 何か別の理由で出れない。

 選択肢を思い浮かべているうちに、信号が青になったのでとりあえず歩き出す。
 諦めて、耳からケータイを離そうとした瞬間、ぷつ、と通話に切り替わった気配がした。
「あ、青子?なにやってたんだ?」
 目の前に洋菓子店。しかし通話中に入るわけにもいかず、通行人の邪魔にならない場所へ避けて快斗は何気なく空を仰ぐ。
 だが聞こえてくるべき声が返ってこない。
「?もしもーし?青子ー?」
 耳を澄ますと、聞こえてくるのは静かなざわめきとゆったりとしたジャズ。

 静かでジャズなんて聞こえるデパート?

 目の前のデパートはそんないい雰囲気のものではないはずだ。それはどちらかというと、すぐそこの店のカフェテリアにいたときの雰囲気に似ていて。
 返ってこない返事に、一瞬血の気が引く。幼馴染になにかあったらおじさんに向ける顔がないと言うものだ。
「………青子?」
 思わず出た言葉は、嫌なケースを思い浮かべてしまったせいか少しの冷たさを含んでいた。
 それにやっと向こうで息をする気配があった。
 そして、続いて流れてきたのは、躊躇いがちな応答。


「あの、」


「……え」
 明らかに幼馴染のものではない、男声。しかも電話回線越しのすこし印象の歪んだ音でも、相手の顔が思い浮かんだ。
 『そんなわけない』と否定しつつ、聞こえた声はどうしても“彼”のものに思えて仕方がない。
「え、と。これ、落としものとして預かってるんだけど、持ち主の知り合い、だよな?」
「あ…はい。そうです」
「じゃあ…本人にどうにか知らせられないかな」
 向こうも困っているのだろう。対処に迷いながらの伺いに、快斗は返事を忘れて笑い出しそうになった。
 だがそんなへまはしない。“彼”がそこにいるのに、そんなことをするわけがない。
「いいですよ。これから会う予定なんで。俺が取りに行っても良いですか?」
「あぁ、じゃあ頼…ってどこにもって行けば…?」
「○○駅の東口前なんですけど、そっちは?」
「え。その駅前の洋菓子店に…」


 ビンゴ。


 駅前にある洋菓子店はここだけだ。ということは。
 通話をそのままにして、快斗はすぐそこにあった扉を開いた。










 カラン、と音を立てて開いたドアに反射的に振り返った新一は、入ってきた相手といきなり目が合った。
「やっぱり」
「……は?」
「そのケータイ」
 端的な言葉で、相手が指したのは新一の手の中のピンクのケータイだった。
「じゃあ…」
「オレが電話の相手。ありがと、工藤新一さん?」
 にっこりと笑った顔は面白いくらいに邪気がないのに、呼ばれた名前になにか言い表せない感情が含まれているような気がした。


 気のせいだろ。初対面だし。


 即座にその考えを切り捨てて、新一は折りたたんだケータイを相手に差し出した。
「わざわざ悪いな」
「いーえ。丁度ここに来る途中だったんで」
「ここに?」
「そう。待ってる間ケーキ食べようかと思って」
「ふーん」
「あれ?」
 ケータイを渡した相手を見ていた蘭が、ふと首を傾げた。
「あ、ねぇ新一。前に園子と街で会ったって言ったじゃない」
「あん?」
「新一そっくりな男の子の話、したでしょ?」
「あー…あぁ」
 コナンの時に見かけた、学ランの高校生を思い出して新一は頷いた。
「もしかして近所?オレ江古田」
「やっぱり近いよ。私達は帝丹に徒歩で通ってるの」
「なるほど。確かにそのあたり通るかも」
 そのまま世間話に突入しそうだが、ここは店先であってこれは営業妨害に入りそうなことに気付いて、3人は店を出た。その際声をかけた店員に一応の事情は説明して。
 同年代と分かったせいか、元々の性格のせいか、大分砕けた口調になった相手はケータイのディスプレイを見て少し困ったように笑った。
「ちゃんとお礼したいんだけど、今日は時間ないし…」
「別にお前のじゃないんだから礼なんていいって」
「妹みたいな幼馴染のヤツなんだ。だから、さ」
 その言葉にお互い心当たりがあって、思わず新一と蘭は顔を見合わせた。
「今度お詫びに行くから。待ってて」
 多少強引なそれを、なぜか抵抗感無く頷かせるような声。そのせいか、新一は気付けば了承していた。
「じゃーね。ホントありがとう」
「どういたしまして…あ。お前さ」
「なに?」
「“バカイト”って本名?」
「……本名はくろば、かいと。字は今度ね」
 青になった信号に“かいと”と名乗った相手はデパート方面へ向かって走り出す。それを背を見送りながら、新一はその姿に微かな既視感を覚えた。
「こんな偶然あるんだねー」
「……そうだな。で、結局“新鮮魚介フェア”、行くのか?」
「んー…今日はいいや。早く哀ちゃん達にお土産渡しに行こ」
 まだ青の信号に、駅方面へ少し急ぎ足で2人は踏み出した。










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幼馴染と絡んでいる快+新が割と好きなので。