細かな書き込みで埋まった手帳のページとにらめっこしていた新一は、ふと差した影に気付いて顔を上げた。
 夜でも白いその姿はコナンの時に散々見たせいかいっそ慣れてきていて、驚く事すら出来なかった。
「こんばんは、工藤探偵」
「何の用だドロボー。ここにはお前の盗むようなものなんてねーぞ」
 月明かりと僅かに届く人工の光。業務時間外でも明かりが残る総合病院の緊急搬入口がすぐそこにあるせいでお互いの姿は良く見えた。
「一課のお手伝いですか?」
「だったらどーした」
「犯人の目星はついたけど、証拠が見つからない?」

 何気なくかけられた問い。だが空気がひやり、と温度をなくした。

「…盗聴器でも仕掛けてんのか?」
「今回は仕掛けていません」
「正直なこった」
 『今回は』の部分を当て擦った新一の言葉を素知らぬ顔で聞き流し、彼はふいと視線を新一から逸らした。
 逸らした視線の先にあるのは病院だ。新一が今解こうとしているのは、その病院で起こった殺人事件だ。
「事件が発生したのは2時57分。事件発生時の細かなアリバイは容疑者全員に無く、しかしながら工藤探偵が目をつけた犯人は事件が起こった部屋以外の場所で目撃されている、と」
「な…」
「死体は窓の傍にあったんじゃありませんか?凶器はスパナで撲殺、といった所ですか」
 淀みない彼の話に間違いはなかった。絶句した新一ににこり、と彼は笑いかける。
 その顔を見て我に返った新一は盛大に顰めた面のまま仕方なく頷いた。
「でしたら、貴方の推理は正しい」
「…は?」
「犯人は第一発見者ではない方の警備員。ヒントは裏庭です」
「ちょっと待て…どういう意味、」
「後は貴方次第です、名探偵。では」
 ばさりと音を立てたマントに慌てて手を伸ばすが、それは空を掴んだだけだった。
「くっそ!」
 覚えてろよ、と内心で吐き捨てて、新一は踵を返した。癪な話だが、新一はその言葉を疑うことは出来なかった。走りながら彼の残した言葉を反芻して立てる理論は、頭の中で軋んだままだった謎という歯車を次々動かしていったからだ。














 そんなやり取りを下のが二日前。
「これは予想してなかったなー…」
 周囲に人目がないのをいいことに世に名高い怪盗紳士は思わず素に戻って呟いた。
 今宵、キッドはある屋敷に犯行予告を出していた。だがその屋敷の主は裏で流れる美術品も扱っているためキッドの予告も警察には報せず、自身のセキュリティで迎え討とうとしていたはずなのだが。
 まるで狙ったようにキッドの犯行時刻すれすれに、彼の身柄自体が警察に押さえられてしまったのだ。罪状は盗品の違法所持である。もちろんキッドの目当ての宝石は証拠品として一時警察預かりだろう。そしてその後どこかの美術館に保管されるなりなんなりする筈だ。筈だが、それまでの時間が惜しい。
「どこの誰だよ他人のお仕事邪魔しやがって…捕まえるなら明日にしてくれよー…」
 用があるのは数ある宝石の中でもただひとつ。ビッグジュエルに数えられているそれ以外は興味も何もないのだからそれひとつを盗み出すくらいの時間よこしてくれても罰は当たんねーぞ、と悪態をついていたところに見えたのはベランダに立った一人分の影。
 煌々と照らす月の光を見上げた彼の姿は良く見えた。

「工藤、探偵…」

 なぜここに、と思った瞬間だった。手袋に包まれた指先が、慎重にひとつの石を持ち上げたのだ。光を反射するそれは月光に晒され、更に白く輝いた。
「ってことは…ハズレ、か…」
 落胆の息を吐いてはた、と気付く。謎が増えてしまった。
「…アイツが…主導者?」
 この状況を彼が画策したものだとしたら納得もいく。見つめる先、彼はベランダから部屋に戻ったかと思うと、少し後にはその屋敷から急ぎ足で出てきた。その向かう先が分かったキッドはひとつ溜息を吐いて空へと背中の羽を広げた。







「よードロボウ」
 予想通り、羽休めの為に選んであったビルの屋上で待ち構えていた新一の前に、笑顔を貼り付けたままキッドは降り立った。
「こんばんは、名探偵。良い月夜ですね」
 嘯いたキッドに酷く楽しげな顔をした新一は一枚の紙を取り出した。あの屋敷に出したはずの予告状だ。
「珍しく、盗り損ねたな」
「しかし工藤探偵のおかげで目的は果たせました」
「やっぱ覗いてやがったか」
「…どうして分かった?」
 慇懃な口調を改めると、新一はにやりと笑う。
「おかしいと思ったんだ。妙に正確に事件の詳細知ってて。だから実は見てたんじゃないのかと思ってな。あの総合病院の裏庭を一望できる場所で、お前が狙いそうな宝石を所有してそうな家を探した」
「結果あの人物に辿り着き、あまつさえ奴の犯罪まで嗅ぎ付けた、と」
「なかなかだろ?」
「ああ。気付いたところで精々二課に通報する程度だと踏んでた。首を突っ込みたがる癖は治ってないな」
「うっせ」
「本当によくも毎回、恩を仇で返してくれるな。工藤探偵は」
「犯罪者は甘やかさない主義だ」
「だろーな」
「けど、」
 じっとこちらを見上げてくる彼に、キッドは首を傾げた。それに、応えるように彼は一瞬で破顔した。

「サンキュ、な。おかげで事件解決出来た」

 素直な謝辞に、むしろ言われた方がうろたえかかったほどだ。
 だから毎回この探偵をなんだかんだで助けてしまうのだろうか。
「…工藤探偵なら、俺が言わなくてもいつかは解決してたさ」
「でも早期解決できるに越した事はない」
「では…ご助力出来た事光栄の至り」
 丁寧に述べて腰を折る。こういう動作を彼が嫌がるのを見越してだ。
「用件はそれだけですね?」
「欲を言えばお前を捕まえたい」
「おや。今宵はなんの罪も犯していませんよ?」
 笑って言えば、少し悔しげに眉を顰める。その表情を見れただけで少し溜飲は下がった。
「ではお休みなさい。律儀な探偵さん」
「親切なドロボウに言われたくねー」
 悪態は褒め言葉ととることにして、キッドは再び夜の空へと舞い上がった。
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もちょっと詳しく事件を書くべきだったかも…;;
仲の悪そうな2人が書きたかったんですけど…案外普通に好意的。


071015