嘘吐き
「そこのボウズ」
どこからかかけられた声にコナンははっと顔を上げた。
空はもう薄暗く、小さな月が昼間よりは色濃く空に浮かんでいる。
今日発売のはずの本が近場の書店で見当たらず、探しに探しているうちに時間も忘れて今もまだ探していない書店を思い出そうと立ち止まったところだった。
「もう遅いから早く帰れよ?」
人通りの少ない夕方の公園沿いの道。
しかし相手は目の前にも背後にも見当たらず、首を傾げて何気なく見た左斜め前少々上方にその相手はいた。
「………。うん。ありがとう、おにいちゃん」
少々引きつった声で猫なで声を出せば、相手の口端が吊り上がる。
「どういたしまして?」
「…何してんだよドロボー」
飄々と返す相手に思わず声のトーンが下がる。素ともいえるその声と言葉に言われた相手は更に笑った。
公園はコンクリートのブロック塀で囲まれ、その塀の高さは平均的な小学生サイズのコナンの頭を優に越す。その上に立つ白い怪盗。
どう見てもおかしいその状況。
「散歩の最中に見慣れたお子様を見つけたから親切にご忠告でも、と思って」
「大きなお世話だ」
「だろうな」
忠告と言いながら揶揄であることは明らかで、コナンは顔を顰めて怪盗を睨んだ。
「そんな格好で散歩してるなんて、捕まえてくれってことか?」
「まさか」
塀から飛び降りコナンの目の前に着地した怪盗は、白いマントを汚さないよう器用にそれを捌いて腰を折る。
「何なら送ろうか?」
ぽん、と音を立てた後、そこには怪盗ではなく白いシャツにブラックジーンズという姿の男子高校生が立っていた。
「嫌味か」
「貴重だろ?」
違和感もなく目の前で笑う“工藤新一”に、げんなりとコナンは息を吐く。
「今日はどっちに帰るんだ?」
「どっちって」
「阿笠邸か毛利宅かってこと」
いつの間に阿笠博士の事を調べたのか、と言うのは愚問だろう。この相手に向かって。
「博士ん家。今日はそっちに泊まる予定」
「あぁ、新刊がなかなか見つからないから?」
なんでそこまで、と顔を窺えば『俺もあれ好きだから』と、工藤新一の延長なのかそれが地なのか相手は楽しそうに笑った。
「あれ来月に延期になったって」
「嘘だろ!」
「ホント。来月の今日まで発売延期。店員さんに訊きました」
思わず落胆の溜息が漏れる。
いつもだったらこんな事にはならないのだが、行きつけの本屋は休業日。すぐに見つかるだろうと高をくくっていたのに見つからないということで半ば意地になっていたというのもある。
「ついてねー…」
「だから今日のところは大人しく帰ろうな」
まるで本当の兄のような、柔らかな仕種でコナンに手を差し出す“新一”の姿。
その手を険しい顔で見つめて、コナンは手を取らずに相手の顔を見上げた。
「捕まえられないとでも思ってんのか?それとも捕まえる気がないって?」
「さぁ」
余裕の表情で手を差し出した“新一”は動かないコナンが手を出すのを待たずにその小さな手を取り上げた。
「嘗めてんのか」
「可愛くねーなー。善意だって」
「その態度が嘗めてるだろ」
「言いがかり」
「どうせ小学生相手なら余裕、とか思ってんだろ」
「珍しく卑屈だな」
オメーがそんな姿するからだろ。
心の中で毒づく。
人が求めてやまない姿に、そうも簡単になられて嫉妬するなという方が無理だ。
勘付かれたくはないから口にはしないが、コナンは極力手を握る相手を見ないように前ばかりを見つめて足を速めた。
「ったく。何企んでんだ?」
「なー。いい加減疑り深いよ」
「当たり前だろ。“嘘”を纏ってしか俺の前に現れないお前のそれを剥ぎ取るのが俺の役目だ」
「ふーん?自分の“嘘”は棚上げで?名探偵」
意地の悪い笑みを浮かべた“新一”の顔を、コナンは見上げない。そして身長差のせいで眼鏡では隠せない瞳の動揺を覆うように一度瞼を落とした。
「“嘘”のベールを剥ぎ取られて痛む腹はお互い様だろ?」
「てめ…」
「別に俺はなにもしないさ。誰もが傷ついて終わるだけの終幕は俺のご法度。柄じゃねーしな、謎明かしは」
ふ、と小さな笑みを漏らした相手を、今度こそコナンは正面から見上げた。
そこにいるのは“工藤新一”じゃない。
少なくとも“俺”はこんな表情浮かべないんじゃないか、と思う。
どちらかというと、それは“コナン”の顔。
「苦しむのは嘘を吐かれてるヤツだけじゃないし、吐くなら絶対どうにかして隠し通してボロなんか出さねーよ」
「…分かってるよ」
再び、その視線がかち合う前にとコナンは前を向く。
どうしたってこの相手に俯いているところなど見せられなかった。
「今日は大人しく送られてやる」
「素直な返事ありがと」
思い出したように手を握りなおして“新一”は殊更足を速める相手に苦笑した。