I love you.
自分の、四方へと跳ねる髪とはまったく別の手触り。
黒く硬質なそれを触るたびに「似合うなぁ」と感心する。
くしゃりと握って撫で付けるように梳いて、しばらく繰り返した後にそれをまたぐしゃぐしゃとかき回してみたり。
「楽しいか?」
ソファに寄りかかった相手の声に、快斗は嬉しくなって「うん」と素直に頷いた。
本を相手にしている新一にはなにをしても無駄だ、つまりイコールなにをしても気にされないからなんでもし放題と解釈している快斗は、それはそれで楽しんでいるのだが、それでも彼に気にかけてもらえた方が無視されるより断然嬉しい。
ソファに寝転んで後ろから新一の髪を弄っていた快斗は、新一の肩に顎を乗せて首に抱きついた。快斗がスキンシップ好きだと認識している彼は、犬にまとわりつかれている程度にしか思っていないのだろう。
邪険にされるよりはマシ。と言うかこれで十分幸せ。
自分の中で一度頷いて、快斗は反応は期待せずにもう少し自分の幸せを追求することにした。
「今日オレの誕生日なんだー」
「ふーん…」
あぁやっぱり脳に届いてない。
ぬるい反応に今更落ち込みやしない。諦め切ってしまえばこの鈍く心のない声でさえ、自分を満たしてくれる。
「新一好きだよ」
「…ん…」
軽く流された告白。
それも、本気にされたくて言ったわけではないからその反応でいい。拒絶さえなければ、言うだけは許される。
傍にいられれば。
この心地よさを味わっていられれば。
どれだけ無駄な想いを抱いているかなんて知らなくていいから。
新一の読書の邪魔はしないようにと思いながらも、肩に顔を埋めてゆっくりと息を吐いた。
温もりにどれだけ幸せを感じているかも、知らなくていいから。
そう思いつつぼんやりと心地よさに浮かんでいると、微かに新一が動いた。
顔を上げると、さっきまでは前を向いていた顔が少しだけ後ろを、つまりは快斗を振り返っていて。
気付いた快斗に小さく苦笑して。
「おめでと」
呟くのが、聞こえた。
「なんか欲しいか?」と続けて訊かれて、快斗は反射的に首を振った。言葉がないことを気にする様子もなく、新一は「そか」と頷いてまた文字の世界へ没頭していく。
再びその肩に顔を埋めて、快斗は小さく笑った。
頼むから、そんな気紛れに触れないでくれ。
浮かぶ笑みとは別に、絶望のような思いで懇願する。
時に見せるそれがどれだけ甘く幸せを呼ぼうとも、それに触れるたびに、結局は諦めきれない想いを思い知る羽目になるのだから。
* * *
本を読んでいる最中に、不意に髪に触れた手。
柔らかに握って、それを撫で付けるように丁寧に梳いて、しばらく繰り返した後にぐしゃぐしゃとかき回される。
「楽しいか?」
「うん」
なぜか嬉しそうな声。そんなに人の髪を引っ掻き回すのが楽しいのか。
ソファに寄りかかっている新一の背後、多分ソファに寝転がっているのだろう快斗が身じろぐとスプリングが微かに音を立てる。
髪を弄られているくらいなら、自分の集中力を欠くほどのことではない。それ以上は何も言わずに放っておくことにした。
色々と手を動かして髪を弄っていた快斗は、しばらくしてそれに厭きたのか肩に顎を載せて首に緩く腕を回してきた。温い体温が項に触れて、いささかくすぐったい。
物語は丁度謎解き役が捜査に行き詰まったところだった。新一はそれまでに提示された条件を頭の中で一通り整理して、やはりまだ足りないピースがあると考える。大方の理論は組み立てられたが、決定的な切り札にはなり得ない。
「今日オレの誕生日なんだー」
「ふーん…」
もう一度最初の現場に戻るか、それともまだ何か事件が起こるか?
どこで犯人のミスを見つけるか、とページを繰る。
あれ。今何か聞いた気がする。
大分遅れてやってきた聴覚の信号を処理する前に、文字の上の探偵が最初の現場を回想している場面が目に入る。見落とした点はないか。絶対にあるはずだ。
「新一好きだよ」
「…ん…」
快斗の声が聞こえると、反射的に相槌を返してしまう。そう思ってから、ふと今聞いた内容を反芻した。脈絡がない。
新一が文字の途中で瞬きを繰り返していると、顔を肩に埋めてしまった快斗が眠っているみたいな息を吐いた。
時々そうやって気紛れのように「好きだ」という言葉を零す快斗。
それを、その溜息よりもくすぐったいと思っている自分がいる。
友人愛、家族愛。親愛を示すのを躊躇わない快斗だからこそ、幾度となく繰り返される言葉。それがどんな形だとしても好意を示されて嬉しくないわけがないから、いつもできる限りで応えようと思う。
そうやって少なからずの想いを示してくれるだけでも、新一にとっては充分だった。それ以上を望んで拒絶されたら、と思うと自然と今向けられる想いだけでも、と願う自分がいる。
少しだけ嘲ってしまって、誤魔化すように顔を上げた。
動きが伝わったのか、顔を上げた快斗。その顔が少し眠たげで、苦笑する。
「おめでと」
近くにいるから、呟くような声。それでも充分聞こえるだろう。
「なんか欲しいか?」
精々の想いを込めて問うと、きょとんと目を瞬いた快斗が黙って首を振った。そんなに意外か。
「そか」
いらないというなら、無理になにかするのもなんだろう。きっと気を遣わせる。夕飯でもご馳走しようか、と考えながらようやく文字の世界へ戻る。探偵役は見落としを発見したらしい。確かにそれならば犯人を罠にかけて自供させられるかもしれない。望ましくはないが、それもひとつの手だろう仕方がない。
ページを繰ると快斗がまた肩に顔を埋めた。余程眠いのだろうか、と思いながら彼の負担を減らすように少しだけ体勢を落としてみた。
もうしばらくしたら、何が食べたいかを訊いてみよう。その頃には、この本の謎も解けているだろうから。
快斗の誕生日@日記に新一サイドを加えてみました。