不自然な偶然に横たわる寓意
「あ」
「?」
距離は5メートル程。歩道と車道の区切りのない道の隅を行く新一は、同じような道の続くT字路から出てきた人影が発した一言に顔を上げた。
軽く首を傾げた後に、その人物は迷いなく此方に歩いてきた。
空には欠けた月が浮かぶ夜の11時過ぎ。街灯の少ない道は、周囲の家の灯かりと月明かりだけが頼りで、薄暗い。なのに寄って来る相手は警戒心を持つことさえ忘れさせるような親しみのこもった雰囲気を持っていた。
「あ、やっぱり」
視認出来る範囲にやってきた相手の顔に見覚えがまったくないわけでもないのだが、そんな既視感を無視してはっきり言うが初対面だ。
「工藤新一さんでしょ。こんばんは」
「…初めまして」
一応慇懃な口調とは裏腹に言外に『誰だよお前』と言っている瞳に確実に気付きながら、相手は笑った。
「黒羽快斗。江古田高校2年生です。ヨロシク」
「あぁ…で?」
「偶々そこに工藤がいたから驚いて」
何の違和感もなく呼び捨てられた。同い年とかそういう以前にまるで昔からの知り合いのような自然さで、抗議する気が起きない。
「俺日頃なんでか『工藤新一に似てる』ってよく言われるんだけどさ、実際どうなのかと思ってこれ幸いと近寄らせていただきました。スミマセン」
「………。」
「でもあんま似てないよなー」
まぁ主観と客観の違いかな、なんて1人で勝手に納得している相手にリアクションをするのも面倒で、新一は黙って適当に頷いて立ち去ろうとした。
だというのに。
「さっきこの近くでキッドが出たんだけど、」
まるでそのタイミングを狙って崩すように相手が次の言葉を続けたから、新一は足を踏み出し損ねた。
「工藤は関わってないの?」
「お前、何?」
今度は口で訊ねた。大分端的な言葉で色々端折ったが。
にもかかわらず相手は大して気にした様子もなくちょっと考えて、口を開いた。
「何、っていうか。キッドのファン」
「ファン?」
「あ、探偵の前で言うことじゃないか」
「いや。別に」
「そう?あ、俺マジックが趣味でさ、だからちょっと尊敬してるわけ。キッド」
「へぇ…」
「あ、でも工藤もファンだから」
相手は無邪気に笑って「お近づきの印に〜」と呑気な声で真っ白な花をどこからともなく取り出して差し出してくる。
突然目の前で繰り広げられたあまりにも自然な奇術に驚きつつも、それは表に出さずに新一は微かに顔を顰めた。
「ヤローに花貰うって…」
「え、ヤダ?そう言わずにさ。花には罪ないから」
はい、と強引ではないのにさらっと渡されて突っぱねることも出来ずに受け取った。
「ちょっと見てみたいなー、と思ったんだけど。名探偵 対 怪盗ってお約束?」
する、と相手が歩き出して、つられるように新一も歩き出した。その方向が自分の家の方向だったからというのもある。
「工藤は、そういうの興味ない?」
「そういうの?」
「てか怪盗キッドに」
「別に」
問いに素っ気無く返し、新一は間を置かずに少し付け加えた。
「今は興味ない」
ふーん、と緩く頷いた相手が少し黙った後に少し期待を込めてこっちを見る。
「昔は?」
「興味ないというか知らなかったな」
問いの続きに新一は素直に答えた。
「あぁそういうレベル…」
相手の苦笑の中に滲むような落胆が見えて、へぇ、とどこか感心するみたいに息を吐く。
「じゃあ今日は別の事件、かなんか?」
「ああ」
「ふーん…」
新一の短い同意に、相手は小さく頷いて言葉が途切れた。
訊かれたところで守秘義務がある新一は事件について語るつもりは毛頭ないから、その反応はある意味ありがたい。そしていちいち相槌を打たずに済むというところを思えば沈黙は大歓迎だった。
なぜならそれが苦にもならないから。
眠気を殺すように欠伸を噛んで、少し先の隣りを歩く相手を窺うこともなくマイペースに歩むうちに、いつの間にか家についていた。
"工藤"なんて表札も出ている自宅を今更隠すつもりもなく、「じゃ」と門に手をかけると少し驚いたような顔をした相手が、ふ、と顔を綻ばせて手を振った。
それに手を振り返すことはせず、新一は門を開いて振り返らずに中に入った。
振り返らずとも、止まる気配もなく相手がさっさと立ち去ったのは分かっていた。
* * *
「あっれー。久しぶり」
「……………。」
距離7メートル程度だろうか。
夜道に煌々と白い光を放つ24時間営業のコンビニから丁度出てきた相手にばったりと出くわして、新一は無言で相手の顔を凝視した。
実に45時間数十分ぶりの再会である。
「なんか無性にダッツのバニラアイスが食べたくなってさー」
そう言うが、片手に下げられたコンビニ袋の中身はカップアイス1個なんて可愛らしい量には見えない、と視線で訴えてしまっていたのか笑って相手は続ける。
「見てたら他のも食べたくなって色々買った」
「…全部アイス?」
「イエス」
すでにがさがさと袋を漁って100円もしないようなアイスキャンディの封を破っている相手に溜息が出た。
「あ、工藤も食べる?何がいい?大体なんでもあるよ」
「いや…別にいい」
「そう?」
遠慮しなくていいのに、と言われるが、そこは謹んで遠慮したいところだ。アイスが嫌いなわけではないが、肌寒い晩夏の夜にそんなものを食べ歩きたくない。
アイスを齧りながら一方的に世間話を聞かせつつ相変わらず一歩先を歩く相手が向かうのが自分の家の方向なのがどことなく気に食わないが、それでも抗議するのも面倒で。新一は黙って時々適当な相槌を打ちながら楽しそうに歩く相手に見えないように欠伸をまた噛んだ。
「あ」
「あ?」
「ラッキー。当たり」
見て見てと言わんがばかりに食べ尽くされたアイスの残骸である棒を振る。
その子供っぽい仕種に脱力しながら、新一は投げやりに「良かったな」と告げた。
と。
何故か一度驚いたように目を瞬いた相手が、一瞬後にはやけに嬉しそうな笑顔を向けてきた。
「うん。サンキュ」
「………」
礼の意味が分からない。
だが怪訝そうな新一を気にすることなく相手は棒を銜えたまま上機嫌に先を歩いている。少々不気味だ。
鼻歌でも歌いだしそうな相手を胡散臭げに見るのも厭きた頃、新一はまたも自宅付近まで戻ってきている事に気付いた。
見慣れた道は案外無意識に辿れるものである。すぐそこに見える家に呆れの溜息を吐いて新一は隣りを歩く男から僅かに距離をとった。
「じゃあな」
「あ、待って」
するりと、なんの違和感もなしに相手は新一の片手を一瞬で捕らえてその手にひんやりとした物を載せた。
「お裾分け」
返事を待つ暇も無く、あっさりと手を離した相手はさっさと薄暗い道を歩き去った。別段急いでいるようには見えなかったのにその姿は簡単に視界から消える。
手の中に残ったのはダッツのエスプレッソ。外気との温度差に薄く水滴を纏ったそれの感触に気付いて我に返る。
道端でそんなものを持って立ち尽くしている間抜けな自分を誰に見られたわけでもないのだが、無性に情けなくなった新一は深く深く息を吐いて家へと歩を進めた。
* * *
やけにパトカーの通る車道の脇に真っ直ぐ進む歩道。
「あ、工藤」
背後にその気配を感じて、首を動かして見ればすぐそこに相手はいた。
3日ぶりの再会で、相手の顔を見たのは3度目。
顔をあわせていた時間なんてどう足しても1時間にも満たず、喋った言葉なんてどれもコミュニケーションと呼ぶには程遠い、意思疎通というよりは一方的なBGMに近いもの。
それなのに何故コイツはさも当然のようにそこにいるのか。
そして何故それを自分は当たり前に受け止めるのか。
「お前実は相当な馬鹿だろ」
「出会い頭にまた随分とシツレーな事を…」
あまりにもあっさり馴染んでいるから新一の方が間違ってるような錯覚を起こす。
「仏の顔も3度までって言葉知ってるよな?」
「2度ある事は3度あるとも言うよね」
はは、と不自然に笑い声が明るく照らし出された夜の大通りに消える。
「今日もキッドの"ショー"が近くであったらしいな」
「ああ。ちょうどその帰りでさ」
「逃走経路がちょうどこの辺りらしいけど」
「へぇ?そうなんだ。工藤は一課の事件の方にいたんじゃないの?」
「予告状解読ちょっと手伝ったからな」
新一は嘆息してガードレールに寄りかかる。
「こっちの事件は解決した」
「…報告?」
「一応な」
「なんで?俺一般人だよ?」
邪気の無い顔で尋ねてきた相手の瞳にだけ、少々剣呑な色を見つける。
気付いているのに知らぬふり、を咎められる立場ではないのだけれども。
「知ってたんだろ?」
「なにを?」
あくまで白を切るつもりなのか、それともはぐらかす事を楽しんでいるのか。後者だと、その表情が告げているような気がした。
どう切り崩すか。
それを思考する前に、新一はだんだん面倒になってきていた。
言いたい事は多々あるが、要約してしまえば。
「大きなお世話だ」
端的に告げた新一に、一度目をむいた快斗は次いで堪えきれないとでもいうように笑い出した。
「ふ、ははっ…!言うと思ったよ絶対」
「…なるほど。最初から嫌がらせか」
「ひでーな。純然たる善意だろ」
「警察盗聴してるような奴に世話になる覚えはねーよ」
それも、彼の相手をしている2課だけでは飽き足らず1課まで盗聴するような常識外れの奴には特に。
「気付いてたんだ?」
「…警視庁宛に送られてきた脅迫状の事で警部に呼び出された日の帰り道で、お前と会った」
脅迫状の内容が新一に害意のあるものだったから、あまりのタイミングに初めは彼を少し疑ったのだが。
「次も俺がたまたま用事で夜遅くなった日」
犯人は依然掴まっていなくて、脅迫状もまたひとつ増え。恨まれる心当たりがあり過ぎるのも困るが、ならばいっそ囮になった方が手早い気がしてきた頃に。
「で、今日と」
結局脅迫状の予告日の今日。数時間前に自分が囮になって警察に犯人突き出してきた所だ。
「偶然か?」
「ああ。偶々だよ」
衒いもなく笑って頷き、快斗はその手の中に再び真っ白な花を取り出した。
白い、薔薇。
黙って差し出された花を、同じように黙って拒否する。
「貰ってよ。花には罪はないんだよ?」
「花には無くともお前にはあるのか?」
尋ねると、快斗は口の端を緩やかに吊り上げて唇に薔薇を当てた。
「答えが分からない?」
「…"Silence"?」
「正解」
ポン、と音を立てた白薔薇はいつの間にか自分の胸元に刺さっていた。
「沈黙は金。お互い様だろ?」
気付いていたくせに、と暗に責める相手の言葉の裏にやはり気付きながらもそれを無視して「さぁな」と新一は嘯いた。
その反応に笑い、快斗は新一の右の腕を軽く叩く。
「左腕、お大事に」
ひらりと手を振って、彼は新一の向かう方とは逆に歩き出していた。
「だから大きなお世話だってーの」
ばれるとは思わなかった左腕の怪我を悟られた事に腹立たしさを覚えつつ、消えていく背に『バ怪盗』と呟いて新一も踵を返した。
予想と大分違う話になってしまったんですけど。もういいや…。(投げやがった)
白バラの花言葉は『私は貴方に相応しい』とかだった気がしますが外国語で探すと『沈黙』ってのもあるみたいなのでそっちで。というか快斗的には両方の意味かと。