*10巻ネタ
呪いの元を探して、それを浄化して、また探して。
死に掛けた後でまだそんなことを繰り返さなければならない昌浩が、またひとつ、と術を繰る度に「無理をするな」と言うのだが、それに返るのは「大丈夫」という言葉だけ。
言った傍からふらついて、「だから、」と言い募ろうとしても「大丈夫だって」とか「心配性だなぁ…」なんて相手にされない。
いっそ紅蓮に戻って強制送還させようか、しかし勾陣に止められること請け合いである。そのため物の怪の姿のまませめて負担が少なくなるように邪気の元を探す為にまた走り出す。
そして六合に背負われ帰れば、身も凍るようなことを告げられて。
今日という短い間にどれだけの傷を負わせられたのだろう、この子供は。
「どこが、大したことがないんだ…清明」
茵に横たわった安らかでも苦しげでもない昌浩の顔を見下ろして、物の怪はその本性に姿を戻した。
乱れてしまった髪を伸びた爪の先で払ってやり、すぐに手を引く。
清明が倒れたと聞いて駆けつければ、病臥したままでもいつも通りの軽い口調で「なぁに、大したことはないよ」と笑ったのに。
「どうしてお前たちは揃ってそうなんだ…」
『大丈夫』と、そう言いながら倒れる。
彼らを守るべき式神の方が血を流すたびに悔しそうに、悲しそうにどこまでも責めを負うくせに、自分達のことはまるで省みない。
苦い思いが不意に口から零れそうになって、紅蓮は立ち上がった。
妻戸を開けて簀子に腰を下ろすと、闇色の広がった空が見える。
昨夜、ここでこうしていた昌浩の姿が頭をよぎる。
『もっくん、お帰り』
そう言って、安堵の息をついたのを覚えている。
その姿に、同じように安堵した自分と、泣きそうになる自分を自覚した。
どうしようもないくらいに愛しいと思うのに、だからこそ命を賭してまで掬い上げてくれたこの魂を引き換えにすること以外に自分にやれるものなどないのだと知らされた。
「足りないな…」
無造作に示された光。
失われた見鬼の才も、儚いその命も、完璧に補って欲しいわけじゃないのだと。それは別の形で齎されたから、もう贖罪はいいのだと。
ならば、清明に泣いて詫びるような思いをさせた、お前に。
報い足りないと言うのは望まれていないのも分かっているけれどなお。
「難儀なことだ」
「勾」
座ったままの紅蓮はふわり、と隣に音もなく降りてきた相手を見上げた。
「あれだけ怒られてもまだ足りないか」
「…そういえばまだ俺が怒ってなかった」
「寝ている相手に説教を垂れても仕方がないだろう」
そう言って、彼女は笑う。共に怒られた相手の笑顔が意外なほどに屈託がなくて、紅蓮は軽い驚きを感じた。
それはつまり、勾陣が、昌浩に怒られたことを良い意味で受け止めているからだと分かるからこそ。
「お前が許可したんだ」
「もちろんだ。アレには怒られる充分な理由がある」
ふふ、と楽しそうに零すのがあまりにも珍しくていっそ気味の悪さすら感じそうだが、そんなところも一種の労わりだと知っている。
「起きたら、存分に叱ればいい」
以前のように。悪態と揶揄を混ぜた言葉で。
ふ、とまた沈み込んだ気配を見せる紅蓮に、勾陣は気付かれないよう苦笑した。
いつからこんなに自分はお節介になったのか、という苦笑を。
「お前は本当に、難儀だな」
「…なにが」
「自分のしたいことが、相手は望まないことだと勝手に考え、律し、切り捨ててしまうところがだ。言っただろう。望むままに、と」
「………?」
「…起きた、ようだ」
現れた時同様唐突に消えた気配。隠形したのではなく本当にいなくなったのだ。室内で動き出した気配に気遣って。
「…もっくん…?」
困惑を滲ませた声が、囁くように呼ぶのが聞こえる。
その声に、逆に縛られたように身体が固くなって、紅蓮が自ら声を出すことも、動くこともせずにただ室内の気配を窺った。
「もっくーん?またどっか行っちゃったのかな…」
衣擦れの音。茵から這い出てきたのだろう。ひたひたと、裸足で床を歩いてくるのが分かる。
それでも、紅蓮は動けなかった。
妻戸の前で一度立ち止まり、そして音を立てないようにと気を遣いながらそろそろとそれが開けられる。
「え、ぐ…れん?」
目の前に、固まったままの紅蓮を見つけて、昌浩の方も困惑に固まった。
だがそのまま固まっているわけにもいかない。
先に行動したのは、昌浩だった。
躊躇いがちに紅蓮の傍まで来て腰を下ろした昌浩を、紅蓮は視覚以外の感覚全てで追っていた。
「紅蓮?」
「…なんだ?」
応えに、昌浩は困惑したまま口を閉ざす。
様子を窺うように紅蓮を見上げ、次に何かを決意するように拳を一度握り、また開く。
そしてその手は、褐色の腕を強く掴む為に伸ばされた。
「紅蓮」
窺うのではなく、呼ぶ。そうされて紅蓮はやっと昌浩のほうを向いた。
「ごめん」
ひたり、と向けられた真剣な眼差し。
外すことを許さないその強さに、紅蓮はただ目を見開いた。
「ごめん、紅蓮。ずっと、謝りたかった…ごめん」
「ちょ、っと待て。昌浩?」
止めなければ何度でも繰り返しそうな言葉を慌てて遮り、紅蓮は掴まれていない方の腕で昌浩の肩を掴んだ。
「なにを…」
「俺のわがままで紅蓮の辛い記憶、そのままで。きっと俺がそう望んだから、そうなったんだ」
だから、ごめん。
もう一度そう繰り返し俯いた昌浩に、ただ呆然とそれを聞いていた紅蓮はぱたりと腕を落とした。
「紅蓮?」
反応がないことを訝って、昌浩が俯いた顔を上げようとした瞬間。
それを阻むように紅蓮は昌浩を腕の中に引き込んでいた。
「ぐれ…」
名を呼ぼうとするのを遮って、力の限りに腕の中にかき抱いた細い身体を更にきつく、紅蓮は息を詰めたままそれ以外の行為を知らない子供のようにただ昌浩を抱き締めていた。
そうでもしていないと、口から零れてしまいそうだった。
好きだ、と。
こんなにも喉から、肺から、心の臓から溢れそうな言葉だというのに、口を開かなければ正確に伝わることはない、ただ一言。
それでも、それは望まない。
『望むままに』と言うのなら、これ以上の望むものはない。
「紅、蓮?」
ようやく圧迫下で息を整えた昌浩の声が届いて、紅蓮は口元に笑みを浮かべてその身体を離した。
「もっと他に、謝ることはあるだろう?」
突然の行動を昌浩に尋ねられる前に少し意地悪くそう問えば、昌浩は思い当たった事項に顔色を変えた。
「え、えーと。あ、明日さぁ、参内できない、よ、ね…」
「そうだな」
「…ごめん」
「なにが?」
「説教は嫌です」
誤魔化せないと悟ったのか、率直に言ってきた昌浩に久しぶりに奥底からこみ上げてくる笑い。
「そうだな、夜が明けるまで説教聞くのと、さっさと茵に戻るの、どっちだ?」
「大人しく茵に戻らせていただきますっ」
即座に立ち上がった昌浩に、紅蓮は笑みを殺して物の怪の姿に戻った。
「おー寝ろ寝ろ。寝る子は育つんだ」
「あー寝てやるさ。見てろよ。そのうち紅蓮だって追い抜かすからな!」
昌浩がやけっぱちの様にそう言うのは、真面目な話に自身が照れていたのもあるだろうが、それよりも、以前通りの距離感に、ようやく安堵したからでもあった。
「だからもっくんも寝ろよー」
軽い身体を持ち上げて、妻戸を開けた昌浩に物の怪は「けっ」と言っただけで、もうその手をすり抜けることはしないかった。
まだ、思うことは多々ある。悩まされることも、少なくない。
けれど今だけ、ただ闇が明けるのを安らかな眠りで待つのもいい。
「しょーがねーなー。ゆっくり寝ろー」
「うん。おやすみ」
そうして、互いに久しぶりの柔らかな雰囲気の中で幸せな眠りにつくことを願いながら、目を閉じた。