微温湯のように。
向けられるのであれば、心地の良いものの方がいい。
「…ふ、あ…」
吐く息に掠れた声が混ざる。思わず口を手で押さえると、ぺとりと濡れた感触が頬に付く。
自分の手が汚れていることにまで神経が回っていなかったのだ。付いてしまった物は仕方がなく、手首の辺りで気休めに擦り取った。
「ちょっと、待、て」
荒い息の合間に言葉を紡ぐと、思いの外丁寧な手付きで鴇時を煽っていた指が外された。
「どうした?」
半分分かっていて訊いてきているとしか思えない声のトーン。
面白がられてる、と思いつつも鴇時はひとつ大きな息を吐いて首を振る。
「のぼせそう」
「あ?」
「気持ち、イ」
「ああ…」
成る程、と呟いて紺は濡れた左手をぷらぷらと手持ち無沙汰に揺らす。
火照った体内の熱を逃がすように息を吐いて、どうにか一度気を落ち着けようとするのだが、逸る鼓動を治めるのはなかなか難しい。
やがて待つのに厭きたように、紺が再び指を絡めだすから諦めた方が得策である。
「っとに、器用だなぁ…」
「そうか?」
というか片手ひとつでここまで追い上げられている自分の方がオカシイのか?
思い至って思考を止めた。考え出すと面白くない方向へ進んでいってしまうのが目に見えるようだった。
だが他所に散らしかけた意識を戻せば、否応無しに襲う快楽の波を引っ被って足の先まで震えが走る。
「っふ…は、…はぁ…」
そろそろマズイ、と唇を噛むと、それに気付いたのか紺の指に僅かに力が入る。
絶妙な加減で扱かれ、促されれば、もうなす術もない。
「っ…く、は、ぁ」
一瞬強張った身体がゆっくりと弛緩する。
無駄に力を入れていた腕と足に漣のような震えが伝播するのに任せて、鴇時はころりと床に転がった。
「変な感じ」
「何が」
「他人に触られるのって。しかも男」
率直な感想を告げた鴇時に、紺は煙管に手を伸ばしながら哂った。
「この時代にはな、"陰間茶屋"っていうのがあるんだ」
「"陰間茶屋"?」
「娼婦の男バージョン」
「…は?」
「衆道、ってな。そっち方面も一応認められてんだ」
つまり男同士であんな事こんな事ひいてはそんな事まで、である。
「…まさか篠ノ女行ったの?」
「行くかバカ」
煙管の火皿で軽く叩かる。
「でもま、廃れないからには繁盛する理由があるんだろ」
そう言われても鴇時にしてみれば青天の霹靂である。何が楽しくて同姓を抱くのだろう。
「してもらって気持ちイイのは分かるけどさ、敢えて男?」
「突っ掛かるな。興味でもあんのか?」
「いや…あーでも興味は…うーん?」
煮え切らない鴇時の答えに紺は笑う。
「ヤル側ならやってもいいぜ?」
「遠慮します。…イイのかもしれないけど、面倒だろうし」
生憎性欲というものに淡白な性質なので、特別魅力を感じない。
「…お前の感性の方が変だと思うけどな」
苦笑いされた鴇時は、似たような笑みを浮かべて起き上がった。
だって。
この行為にはどうしたって付きまとう感情があるから。
そしてその感情がどうにも苦手だから。
どうせ向けられるのならば、暖かなものがいい。
出来れば微温湯のように浮かんで揺蕩っていられるような。
愛がなければ哀もない。臆病な屁理屈。
また、呆れられそうな思考に支配されだした頭。それを悟られる前にと鴇時は俯いて手を伸ばした。
「さて、リベンジ」
紺とは違って使うは両手。
「煙草吸いながらで咽ても知らないぞー」
「へいへい」
コン、と灰を落として煙管を置いた紺の薄暗い闇色の着物を肌蹴させる。
彼の名の通り、藍より濃い青色の着物はなぜだかいつかのブルーシートの空の色を思い出させた。
愛、哀、藍。恋情がない方が単純明快。
060523