ハートブレイク
羨ましいと言われた。
なら代わって欲しいと喉まで出かかった言葉を中途半端に飲み込んだ。
ヒトの気持ち粗末にしたら罰が当たって呪いがかかる。
なにより自分の後味が悪すぎるってもんだ。
真っ白な封筒に走る自分の名前に戸惑いながら。
そこに書かれるだけの気持ちが篭ってるんだろうな、とか人事のように考える。
結局それをとりあえず制服のポケットに仕舞った。
学校の中で1番空に近い場所。
空々しいくらいに晴れ渡った青色が目に染みる。
少し擦っただけで擦り傷がつきそうなコンクリートの上。ニットの薄いベストを枕代わりに敷いて寝転がった神埼は何気なく空に向かって片腕を伸ばした。
ぽかぽかと暖かい陽光を遮る掌をしばらく見つめ、また力なく腕を落とす。
絶好の昼寝日和。
意識と少しずれたところで予鈴が響いている。
もう戻らなければいけない時間だと思いながらも、神崎は動かなかった。
動きたくなかった。
「おサボり?優等生」
唐突に降って湧いた声。
慌てて声の主を探すと、神崎のいる場所より1階分高くなった場所から人が降りてきたところだった。
「君島先輩…いたんですか」
「おう。言っとくけど俺のが先客だからな」
「…ということは…」
じわり、と厭な汗が浮かぶ。
「聞いて、ました?」
「バッチリ☆」
「………」
「悪い。聞く気はなかったんだけど」
絶句した神崎に思いの外真摯な口調で君島は謝った。
君島にとっても不可抗力だっただろう事は明らかだから、神崎は沈黙したまま僅かに首を振る。
神崎の傍まで来た君島も、言葉もなく神崎を見下ろしている。
普段の信じられないくらいによく働く口でのマシンガントークも困るが、慣れない沈黙はそれ以上に神崎を困惑させた。
「…先輩は戻らないんですか?」
ひとつ年上の君島は高校受験を控えた3年生。それを気遣って―――というのもひとつの理由だったが、今の出来事を見られてしまった居心地の悪さもあった。
だが君島はにっこりと女神のような笑みを顔に浮かべて。
「気遣うほど内申も悪くねーし、俺の狙い的には内申あんまり関係ないし。そして何より俺は先生受けが良い。」
そう宣う。
「…そっすか…」
生返事を返して神崎はまた仰向けに寝転がった。
独りになりたい、と言ったところで聞いてくれる相手じゃないのは分かっているから、せめて気分だけでも孤独になろうと目を瞑る。
が、しかし。
「なー神崎」
「…ナンデスカ?」
「思うに」
「あんま何も思わないで欲しいデス…」
切実な神崎の願いはいつものように無視された。
「今の子、神崎が絶賛片思い中の子だったよな」
なんだかおかしな装飾がついたが、内容に間違いはない。しかし頷き難い事実に神崎は口を閉ざす。
「そして今の呼び出しの内容から鑑みるに」
「…鑑みんでも分かりましょう…」
一部始終を聞いていたのだから、と弱く告げれば、君島はうんうんと表面だけは真剣に頷いた。
彼女の用件は、手紙の返事の催促。
ただし、彼女の友人の。
つまるところ。
「はーとぶれいく」
君島の口から出ると言葉がなんだか別の意味の単語のように聞こえる。あまつ、
「break、broke、broken…breaking?」
「活用せんでください」
「とりあえず言った動詞は活用すべし、受験生」
日々学習よ、と言われても返す言葉に困る。
「でもさ、ほら、あれよ」
妙な前置きを置いて、君島は少し目を逸らしがちに言葉を綴る。
「友達に頼まれて、嫌とは言えずに訊きに着たけど実は!みたいな」
ね、と笑いかけられて先程のやり取りを反芻する。
『ゴメンナサイ、って伝えてもらえる?』
『ダメ?』
『悪いけど、』
『んーまぁ好みは人それぞれだもんね』
『まぁそういうこと』
『残念だけどね』
あっさりさっぱりしたものである。
「…先輩、それ一応慰めですか?」
じとりとした目でやや上目遣い気味に尋ねると、きょとんと一度目を瞬いた君島は真っ直ぐ視線を合わせたまま子悪魔の笑みを浮かべた。
「1回持ち上げてから落としたほうがダメージ大きいダロ?」
「訊いた俺がアホでした…」
もう煮るなり焼くなりお好きにドウゾな気分だ。
「ま、縁がなかったな」
「そーですね」
「神崎が女だったら俺がお嫁さんに貰ってやるのに」
「逆の例えしないあたりが先輩らしいっす…」
そして例えこの先輩が女だったとしても自分にはついてゆけまい。
そんな先輩のこんな気遣いとも思えぬ気遣いに元気付けられている自分を知りつつも、それは必死で見ないフリである。
でもしかし。
「…ありがとうございました」
呟くように告げれば、君島は軽く神崎の髪の毛をかき混ぜて屋上から降りて行った。多分行き先は図書室だろう。
自分はもうしばらくここでコンクリートとオトモダチ。
人生の難しさを妙に悟った神崎、14歳の秋だった。
060527