『 18,44メートルの攻防 』








 投手と捕手の距離で。

 遠いかと訊かれれば、そう遠くはないと思う。

 歩いて数歩。走って数秒。


 遠くは、ないはずだ。










 バッターボックスで花井と話をしていた阿部は、ふとマウンドを見た。
 マウンドに立ったままぼんやりとしている三橋がいる。そのどこを見ているのか分からない目が、阿部に違和感を齎した。


 そこに立つ三橋は、気付けば阿部を見ている。
 いつものような怯えを払うように真っ直ぐに。
 18,44メートルを縮めるかのように。


 それが今はどこを見ているのかぼんやりと宙に彷徨っている。蝶でも探しているのかと思うくらい覚束ない。
「阿部?」
「ん。あぁ」
 花井の訝しげな呼びかけに我に返って視線を外そうとしたところで、阿部は視界の端に猪を見た、気がした。

 ――― 猪?

 野生の猪なんて見たことない阿部がそう思ったのは何のことはない、西浦ナインの1人だった。
 猪突猛進と言っていい勢いで駆けてくる猪、もとい田島の行き先はといえばそのまま途中で直角に曲がりでもしない限り三橋行きである。
 一瞬向き直りかけた花井の存在を完璧に無視して阿部はその行く先を見ていた。
 予想通りに田島の狙いは三橋で、腰にぶつかる様に抱きついてきた田島に砕かれたように三橋の足が曲がるのが見えた。
 どうにか持ち直して、田島を確認した三橋はしどろもどろで何かを言っている。
 それに事も無げに応えて、田島が何かを言う。
 また三橋が返す。
 田島が三橋に抱きついたまま返す。
 抱きついたまま。何かを言って。それに三橋が少しだけ、笑った。
「阿部ー…?」
 隣りで何かを言っている花井の言葉も聞こえない阿部には2人の言葉も聞こえてはいないが、それが無性に腹立たしいことには気付いた。

 決して遠くはない18,44メートル。
 しかし自分の腕は18,44メートルを補うような長さはない。

 だから手の中のボールを握り締めて、一声叫んだ。


「三橋!!」
「う、あ、は、!」


 呼ばれた三橋が途端に視線を彷徨わせる。

 探さずともお前のすぐ前に俺はいるっつーの。

 そんな心の声が聞こえるはずもないが、三橋の視線がちょうど阿部の方を向いた。それにつられるように三橋がグローブをはめた手を少しあげる。いつものようにそれに向かって阿部はボールを投げた。
 さすがに慣れた様子でボールを受け取ってから、意味が分からないと言うみたいな顔をするから、同じように怒鳴る。
「練習再開!」
 花井と田島を無視した言葉の意図に気付くこともなく三橋は数回瞬く。
 そして笑った。


 綻ぶように、笑った。


 内心で「よし」と呟いて、阿部は花井を邪険に追い払った。
 「なんだよ、阿部ー。ヤキモチー?」と田島の声が意識を上滑る。
 阿部はグローブをはめなおしてそれを無視した。










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攻防っていうか阿部様一人相撲。