『 一方通行 』
気付かれないように、隣りを伺う。
ヒト半人分の空間を開けて隣りに座って、本に視線を落としている相手は気付かない。
何度かそれを繰り返すうちに、気付かないからと思ってちらちらと目で仕種を追うようになってしまった。
時々グラスのお茶を一口飲んでまた元の場所に戻す。ページを捲る。本を持ち直す。すべての動作は紙の上に並ぶ文字から視線を逸らさずに行われるのにグラスのお茶を溢すことはない。
自分の読んでいる本はそっちのけで見つめていることにやっと気付いて、慌てて視線を剥がすが、そこで実はこの視線に気付いていながら無視しているのでは、という思いがよぎる。
静かな動作はまるで拒んでいるようで。
どこか落ち込んでいるように見えて。
自分が邪魔な気がして。
なにも言わずに隣りにいることで、様子を伺うばかりの自分が苦しくて、だからといってこの場所を立ち去ることも出来なくて。
泣きそうになるのを堪えながら、黙って本のページを捲った。
何度目かの視線を無視してグラスに手を伸ばす。
予想通りの場所にあったそれを引き寄せて口を潤して、グラスを元の場所に戻す。ページを捲る。
単純な動作でだんだん身体が軋んできてはいるが、本の続きが気になってなかなか姿勢を動かせないままだった。
初めは気晴らしのつもりで読んでいたのに、すっかり没頭しているのだから自分は意外と単純かもしれない。
実は隣りに座る相手のことで色々思うところがあって勝手に苛立って落ち込んでいたのだが、原因に相手が気付くことはないだろうから黙っているのだが、案の定相手は気付かない。
そんなところが好きで、でもそんなところに苛立っているわけだからなにも言えなくて当たり前だ。
だから、何かマズイことを言わないようにと黙っているのに、さっきから視線が痛い。
どうしようかと思いつつまた1ページ、と進むと不意にその視線が逸らされた。
やっと自分の本に取り掛かりだした相手にほっとしたのも束の間、やけに沈んだその雰囲気が気にかかって。
どうするかなぁ、と思いながらまたページを手繰る。今更に集中力が切れそうだった。
ぱたん、と音を立てて閉じられた本。
その微かな音に反応してびく、と体が跳ねた。
恐る恐るといった様子で阿部を見た三橋を、阿部はいつも通りの表情で見返していた。
「どうかしたか?」
「う、ううん」
慌てて首を振る。振りすぎて軽く眩暈が起きた。
くらりと揺れた視界の中で、自分の方に誰かの手が伸びた気がした。
「……大丈夫か?」
左耳の辺りにぬくもりが当たる。"誰か"の手は、阿部以外のものなどありはしないのだ、と間の抜けた認識が遅れて追いついてきた。
「だ、いじょ ぶ」
へらり。と笑って見せた三橋に、阿部は微かに口端を動かした。
多分それは笑顔と呼ばれる表情だったのだと思う。
阿部の笑った顔をそう頻繁に見たことはない、けれどそれは何か違うと三橋は感じた。
それは少し前からずっと感じる隔意を形にしたような。
見たことのない表情だった、と驚きのような感情を覚える自分が果たして何にショックを受けているのかはわからなかったが、阿部がそれを追求する事を決して望んでいない事だけはしっかりと悟って三橋は離れた手をぼんやりと見送った。
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いつぞやの日記から。加筆。
2人とも黙って読書するようには見えませんが。
…学校の課題とか!(苦しい)