ごめんなさい
なんだか暑い、と思いつつ望美は殆ど自覚のないまま宿の裏で剣を握った。
鍛錬はいつも欠かさず。師の教えをしっかりと守って、夏の熊野でもまだ涼しい朝に日陰で剣を振るう。
しかしいつもはひんやりと気持ちいいはずの朝の空気が、今日はなんだかどんよりとしている気がする。
なんでかな…。
堪えるように唇を噛んで切っ先を一度地面に下ろす。
「望美?」
「あ、九郎さん」
表から回ってきた九郎におはようございます、と笑う。
「早いな。鍛錬か」
「はい。戦はないですけど、できるだけと思って」
「いい心がけだが、あまり無茶はするなよ」
「分かってます。昼はまた歩かないといけないし」
苦笑して一度下ろした剣を持ち上げようとして、望美は不意に眩暈に襲われた。
「あれ?」
「おい。大丈夫か?」
剣を地面に突き立ててどうにか堪えた望美を、九郎が顔を顰めて覗き込む。
「――― お前、」
「?」
「熱があるんじゃないか?」
「え…」
ぺたりと掌が額に当てられる。
顰めていた顔を更に険しくして九郎は「やはり」と呟く。
「今日は宿で休め」
「え、でも」
急いでいたんじゃ、と戸惑う望美に九郎は険しい顔のまま。
「病人を連れて山道を歩けるか」
「大丈夫ですよ。まだ微熱だし」
「馬鹿!お前のためを思って言っているんだ」
「ば…馬鹿って!」
「こんな状態で行ってみろ。弁慶が…」
「僕が、どうかしましたか?九郎」
九郎が現れた方から柔らかな声がかかって2人は思わず肩を震わせた。
「弁、慶」
「2人とも、逢引ならもっと分かりづらいところでやってくださいね」
「あ、あ、逢引などではない!」
「鍛錬していたようにも見えませんでしたが」
「弁慶!」
「ところで、どうかしたんですか?望美さん」
言葉なくやり取りを見ていた望美は、近づいてきた弁慶に急に手を伸ばされ咄嗟に反応も出来なかった。
「あ、えっと…」
「…熱が、ありますね」
「あの、でも、まだ微熱で…」
「微熱だからこそ、今のうちによく休んでくださいね」
「でも」
「望美さん。軽いからと言って甘く見ないほうがいいですよ。熊野の山道はなだらかとは言えません。何より君が倒れては元も子もない」
少しだけ眉を寄せて、困ったように諭される。
しかし望美がまだ何か言いたげに口を開こうとすると。
「なんなら、催眠効果覿面の解熱剤を煎じて差し上げますが」
「え、遠慮します…」
ごめんなさい。と素直に俯いた望美。
「あまり、僕を困らせないでくださいね」
弁慶は望美の肩を叩いてにこり、と笑った。
「隠そうとするなんて以ての外ですよ」
とん、と指されたのは脇腹。
昨日、怨霊にやられた傷のある場所だった。
「…分かってたんですか?」
「いえ。先程から庇っているように見えたので」
まずは傷の手当てからですね、と告げる声音は優しげなのに。
表情は柔らかく笑んでいるのに。
「…だから言っただろう…」
「はい…」
九郎の呆れたような言葉がやけに重く感じられる。望美は大人しく頷いて宿へと戻った。
ゲーム中の弁慶さんの笑顔は大概胡散臭い。
鍵のかからない扉。
「案外馬鹿じゃないんだけどねぇ…」
「あん?…ああ」
真田の事か、と片目を眇めた相手に笑う。
「せーかい」
「いや馬鹿だろ」
「んー…なんていうかねー…」
ぼんやり空を見上げる。青い空。白い雲。長閑な空気に浮かぶ紫煙。
「…将来伊達ちゃんが肺ガンで死んでも俺は泣かないから」
「そもそも期待してねぇよ」
「だよねぇ…」
案外俺の方がぽっくり逝きそうだ。胃に穴開けるとかそんな可哀相な死に方で。
「つーか話飛んだ」
「あー、えっと、ああ、"アレ"はさぁなんていうか…」
本能とか。野生の勘、だとか。
そんな大凡現代社会で通じるのかどうかも分からないモノだけでもあっけらかんと生きていける不思議な生き物なのだ。あの少し年下の幼馴染殿は。
「もう絶滅危惧種に指定されてもいいと思うよ」
「ああ…天然記念物な…」
気怠い、そしてなんともやる気のない同意が返る。しかし気のせいじゃなければ今の単語、"天然"のあたりに妙に力が篭っていた。
まあそもそもこの話に興味もなにもないのかもしれない。佐助もそれで構わなかったので咎める気もないが。代わりに別の事を口にした。
「そろそろ来るから消した方がいいよ?」
「知るか。俺の勝手だろ?」
「この国の法律的には伊達ちゃんの方が間違いなんだけど」
力無い注意が案の定笑殺された次の瞬間、佐助が寄りかかっていた壁のすぐ脇のドアが酷い音を立てて開かれた。
「佐助!」
もうちょっと手加減しなさい物は大切に扱えって昔言っただろー、なんて言ったところでやっぱりスルーされるわけだ。俺の周りは何でこうも常識を脳に留めて置けない人ばっかりなんだろうかね。
「見ろ!」
「…わあ見事な点数だね、旦那」
赤点プラス2点。その免れ方は胸を張って威張るような事じゃないと思うけれども。彼にしてみれば大嫌いな数学で赤を取らなかっただけで充分喜びの材料になるらしい。
「…お前それ殆ど勘だろ」
「どうして分かっ」
「分かるわ」
「伊達殿。煙草は20歳を過ぎてか」
「うるせえ」
容赦の無いツッコミをものともせず、逆に注意してもやはり強硬な無視、というある意味お互い様なコミュニケーションを取る2人を尻目に佐助はぼんやり空を見上げる。青い空。白い雲。さっきよりは格段に騒がしくも長閑な空気に浮かぶ紫煙。
ああ、平和ってスバラシイ。
"鍵のかからない扉。" :
070401 :
back
何でいきなり学生とか気にしない方向で。
電池切れ
アッシュが足りない。アッシュが欲しい。アッシュが
「黙れ屑」
別にアッシュに言ったわけじゃないし。
イッテェ!殴ることねーだろ。
「だったらテメー人の名前連呼してんじゃねーよしかも何だその頭悪ぃ内容は!」
え、何って、えーっと、心の声?
「なら口に出すな」
だって溜めてたら体に悪そうなんだよ。いっぱいいっぱいになって破裂しそうな感じ。ならない?アッシュはそういう風に。俺だけ?
「…知るか」
じゃあ俺も知らない。
あー…アッシュに触りたい。
「屑が…っ!」
触ってもいい?
「他を当たれ!」
だって今ここにアッシュしかいないし。
人肌が恋しい。温もりが恋しい。鼓動が聞きたい。
これは口に出さなかったのに見透かしたみたいにアッシュが目を細めた。
「なら人の名前を頭にくっつけんな」
うんでも出来ればアッシュとくっついてたい。落ち着くし。
「…気色悪ぃ」
もーいーよ勝手にくっつくよ。
あったかいのって気持ちいいもんだろ?
「場合による」
えーじゃあナタリア呼ぶか。
「っ!テメェ!!」
イテ!待て、冗談だっつの!
ごめん。ゴメンナサイ。大人しくしてる。
………………。
…ふぁ、
「……おい」
………。
「………。」
……ぐぎゃ。
キツイ苦しいちょ、アッシュ、
「人の背中くっついたまま寝るテメェが悪い」
重いーキツイー…うー…アッシュのバカ…や、ろー…。
「それでも寝れんじゃねーか」
感覚まで劣化してんのかなー…あー…ダメだー…おやすみー…。
「………いっそ永眠しろ」
わーひでー…。あっしゅだいすきー。
「うるさい寝ろ!」
傲岸不遜な兄と何故かそれに懐く弟みたいな。しかし呆れるくらい適当デスネ…。
刀に刻んだ文字
春の宵。
朧月が道を照らす。
どこか頼りないその光が心地よい、と思って弁慶は独り薄く笑んだ。煌々と照らされるのを避け、影に影にと身を寄せる癖はいつからだろう。
深く被いた闇色の布を、確めるように前に引き寄せる。月光に嫌という程映える髪を無意味に晒して歩く趣味はない。
五条天神の敷地の東。流れる川の音は、わざわざ拾い集めずとも耳に入る。それほどに静かで、独りそぞろ歩きを楽しむにはもってこいの夜だった。
そこに人影を見つけずにいたならば。
童姿のせいかそれとも色か。光を跳ね返す淡い色の水干が屈折を知らない子供の心のように見えた。被いた紗の下にある髪の色は鮮やかで、自分のものとは違う意味で光に映える。
幸か不幸か、その姿には心当たりがあった。
「鞍馬寺からこんな夜更けにわざわざお参りですか?遮那王殿」
静寂を震わせる声は面白いほど響いて、橋の上で月を見上げていた相手はすぐにくるりとこちらを向く。
怪訝そうに顔を顰め、相手は弁慶を注視する。
「比叡の…伴はなしか?」
「そちらこそ」
「いつもいつも徒党を組んでいるわけではない」
つまりどちらも偶々独りの時に、これも偶々出くわしてしまったということだ。
弁慶にしてみれば、少し興味があった相手に思いがけず出会って好都合である。
ふ、と笑みを零した弁慶に、その笑みの意味を探るような視線が刺さる。
「なんだ?」
「いえ?」
なにも、という否定ではなく答える気がない、という意思表示。それを読み取ったのか遮那王の顔が不快そうに歪む。
「……お前の名は?」
「名を訊いてどうしようと?」
「お前は俺の名を知っているのだから、聞かねば不公平だ」
「、」
堪えきれず吐息のように小さな笑声を零して弁慶は口元を押さえた。この状況で公平不公平を持ち出す相手がなんだか無性に可笑しかったのだ。この場に似合わない言葉だというのに、それにまるで気付かずに当たり前のように使うのは育ちがいいのか本人の気性のせいか。確実に後者だろう。
答えない、という選択肢もあったがあえてそれは選ばないことにした。
「僕の名は武蔵坊弁慶と言います。以後お見知りおきを」
「弁慶?…あの?」
「どの、かは知りませんが」
「夜道に出会えば誰彼構わず刀を奪う鬼だと」
律儀に流布する噂話を告げてきた相手に苦笑が漏れる。正直すぎるのは賢いことではない。
「噂通りなら君もその餌食ですね」
冗談めかして言えば、遮那王は腰に差していた刀の柄に片手をかけた。
「しかし、お前は鬼にはとても見えない」
「そうですか?見た通りだと思いますが」
「優男とまでは言わないが…」
あからさまに疑いの目を向ける遮那王を弁慶は不思議そうな目で見た。
「金の髪は鬼のものと言われているでしょう」
「髪?」
金色、とまではいかぬものの被いた布では隠しきれない薄い色の髪。まさか気付いていないのかと思えば、目を瞬いた遮那王は何かに思い当たったとでもいうように「ああ」と声を零す。
「いや。もっと屈強な男のことを言っているのかと思っていた」
どうも彼の中での"鬼"とは京に伝わる鬼ではなく、地獄の番ともいえる空事の存在の方を指すようだ。
「そちらの期待は応えられそうにありませんね」
「そのようだな。だが他の部分はどうなんだ?」
「他?」
「『誰彼構わず刀を奪う』」
「ああ。誰彼構わず奪った覚えはないんですが」
はぐらかすように揚げ足を取るような言葉を選ぶ。どうも相手は言葉の応酬は慣れないようで、意味を掴みかねたようにじっとこちらを見ている。
「向かってくる命知らず限定で」
刀身を薙刀の柄で叩き折ってしまったこともあるが、そもそも武器が欲しくてやったのではなく火の粉を払った結果なので、弁慶にとってはどちらでも大差ない。ほんの気紛れに奪った武器はそのまま放置するなり端金に変えたりとその時々で用途は様々だ。
「ここで遇ったのも何かの縁ですし、君のも戴いていきましょうか」
楽しげに笑ってそう安い挑発を向ければ、遮那王は腰を低く落として柄を握りこんだ。
「そう易々と渡すと思うか」
「いいえ?」
あっさりと否定して、さり気ない動作で弁慶は持っていた薙刀を一振り振り回した。遮那王の足元より少し上、膝のあった辺りを長い鉄の棒が薙いでゆく。
前触れも無いその攻めを遮那王も素早い身のこなしで危なげなく避けていた。被いている紗の端がひらひらと舞う様は朧の光を纏って美しく優雅でもあり、成る程天狗の元で学ぶと言われるものだ、と弁慶は感心半分で微笑んだ。
カ、コ、と小気味のいい音を立て、彼は背後の橋の欄干に下駄を掛けるようにして器用に立った。
「いい動きですね」
笑って弁慶が褒めても眉ひとつ動かさず、遮那王は反撃の機を窺うようにすっと腰を落とし重心を下げる。
しかしその機はやっては来なかった。
「な…っ!」
ぎし、ともばき、とも言い難い、しかし確実に何かが壊れた音。それは明らかに遮那王の足元で響いた。
彼は咄嗟に身を浮かせるが、それは寸でで間に合わなかった。
ずるりと根元の方から崩れた欄干と一緒に、まだ成長途中の子供の体が落ちてゆく。
続きそう間を空けずにばしゃーん、と気持ちのいい水音が上がる。弁慶は崩れて空間の空いてしまった欄干の辺りから下を覗きこんだ。
「水深が微妙でしたでしょうに、さすがですね」
空中で体勢を整えたのか、無残に川底にぶつかった欄干とは違い遮那王は脹脛までもない川の中に片膝をついていた。ただ、着地の際に盛大に引っ被ったのか全身びしょ濡れだった。
「…最初の大振りは、初めから」
「ええ。欄干を狙いました」
君ならそう避けると思いましたので。
そう答えながら、弁慶は内心で少し驚いていた。
真っ直ぐな武士らしく、そしてまだ経験の少ない子供らしい性根だと思っていた彼の今の声音が、まるで彼の浸かっている川の音の如く静かだったからだ。
ぽたぽたと雫を落とす髪をかき上げながら、川の中で彼は立ち上がる。ふと気付けば、宙で手放したのか彼の被いていた紗がまだ残る欄干に引っかかっていた。
「卑怯だと謗りますか?」
「いや。納得はいかないが、策もまた必要な力だ」
今回は俺の負けだな、武蔵坊弁慶。
そう言った遮那王は、少しだけ悔しそうに弁慶を振り仰いだ。
「いるか?」
腰に佩いた刀を彼は示す。それに笑って弁慶は否の答えを返した。
「代わりにそれに僕の名でも刻んで置いてください」
「?」
「もしかしたら、僕はいつか役に立ちますよ、君の」
「…よく、分からないが…了解した」
途端に幼げな表情を見せた相手に弁慶は更に笑みを深めた。この様子では本当に刀身に自分の名を刻みかねない。それはそれで面白いが。
刀は武士の魂でもある。
ならば刻め、その御魂に。
「では、またいずれ」
刀の代わりに紗を手にして弁慶は橋を渡った。
この薄布は明日にはきっと端金に変わってしまうが。思わぬ収穫だった、と弁慶は満足げに朧の月を見上げた。
それは正に千金に値する夜の事。
"刀に刻んだ文字" :
070702 :
back
超捏造。遥3の九郎さんなら初対面は素直に負けるんじゃないかと。そして師の髪を見慣れているので弁慶さんの髪の色なんて気にも留めない。
2007
0114(1) /
0327(2) /
0330(3) /
0325(4) /