ぼんやりと、吐く息の行方を捜すような。
彼が自分の帰り道に佇んでいるのでなければ、人を待っているとは思わないだろうな、と呆れる。
「ラザフォード」
呼ぶと、色素の薄い瞳の焦点がこちらに合う。
銃口の照準合わせのようだと内心で笑って、相手に近づいた。
「何か用だったか?」
「勿論だ」
焦点が合うと途端に変わる反応はどうにかならないのかなんて、言ったところで無駄だろう。
「俺も用が出来たところだし、丁度いい」
苦笑めいたものを見せて家へ誘えば、不思議そうな表情を浮かべながらも彼は頷いた。
* * *
椅子に座ったアイズの目の前にチリン、と音を立てる箱を置けばその顔に浮かぶ疑問の色が更に濃くなった。
「今日がバレンタインなのは知ってるよな?」
「ああ」
だから来たのだと告げられて、歩は一瞬唖然としてしまった。
「何かおかしいか?」
「ああ…いや、」
ここで驚く自分の方が間違っているのか?と自問しつつも、それを無視して先を続ける。
「日本だと、仲の良い人間にチョコレートを送る習慣があってだな」
「それも知っている」
「…あんたはなにを疑問に思っているんだ?」
「他人から貰った物を俺に渡す意味についてだが」
何故これが他人からの贈り物だと思うのか、と視線で問えば。
「お前はこういうものを用意するようなタイプには見えない」
実に的確な観察眼である。
「それに、それは女子から男子へ送る物だと聞いたが」
「竹内にでも聞いたのか。その通りだ」
「それで、これは?」
もしお前からの物なのだとしたら喜んで受け取るが?
少しだけ口角を上げる。
それだけで随分と雰囲気の変わる相手の顔は間違いなく見惚れる類のものだが、生憎ここで見惚れていてもいいことはない。
「残念ながら。カノン・ヒルベルトからだ」
「カノンが?」
「一目惚れして買ったはいいが、愛が深すぎて食べられないらしい」
「それがどうしてお前の手に?」
「あんたと分けて食べてくれって」
経緯を全部説明すると、アイズは微かに顔を顰めながらも頷いた。
その表情の曇りが気になるものの、本人が特に何も言わないので歩は気にしない事にした。
「開けててくれ。ダージリンでいいか?」
お茶の用意にキッチンへ向かおうとすると、アイズがそれを止めた。
「ココアがいい」
「…チョコレートに?」
「ああ」
どんな甘党だ、と呆れながらキッチンに入って棚を漁る。確か甘味の抑えられたココアもあった筈だ。
薬缶を火にかけてキッチンからアイズの様子を見ると、丁寧にラッピングを剥がしていた。
僅かな量の水はすぐに沸騰して、程なくカカオの香りが部屋に立ち上る。
2つのカップを手にテーブルへ戻ると、アイズがチョコレート色の猫をひとつ摘み上げて眺めているところだった。
姿勢正しく優雅な曲線を描く細身の猫が、彼によく似合う。
開かれた箱の方を見れば、それとは別の形をした猫があと3匹、プラスチックの型の中に納まっていた。
黙って目の前にカップを置くと、アイズは猫を持たない方の手でカップを取って先にココアを口にした。
「それで、用事は済んだのか?」
バレンタインだから、という理由で来たのなら自分に会う事で目的は果たせたのか、という意味で問う。
カップを置いたアイズはそれに頷いた。
「ああ。今済んだ」
「今?」
「おまえにココアをせがむのが目的だ」
「は…?」
自分の手の中のカップに視線を落として、もう一度相手を見る。
「…ホットチョコレートで代用ってことか?」
首肯されて、歩は呆れたように溜息を吐いた。
「そこまで欲しがるものなのか?」
「当たり前だ」
自信たっぷりに肯定されてしまえば、それ以上言える言葉もない。
「返礼を1ヶ月後にだったな」
「いや…別に、」
「いらないとは言わせない」
折角覚えた習慣だからな、と心底楽しそうに。
「……じゃあ精々期待するさ」
箱の中から猫を一匹捕まえ、歩は観念したように甘い甘いそれに歯を立てた。