春の、だけど少しだけ冬の余韻を残した涼しい風が手に持っていた白い花を揺らして過ぎていく。
「助かったよな…もう暖かくなっててさ」
誰かに恩を着せるように呟くが、実際助かったのは自分で。
「悪いな、こんなんで」
安物どころか元手は無料の手向け。
冷たい石の前に、春の野ならばどこにでもあるようなその白い花を腰をかがめて置いて、気を抜くと揺らぐ口調に自嘲しそうになる自分を懸命に押しとどめた。
誰の前でもなく、こいつの前では絶対に情けない顔はしたくない。
その思いを込めて唇をかみ締める。
アルフォンスを宿に戻らせたのは、『自分よりも情に脆い弟だから』なのだと自分にすら言い聞かせたのに、実際この場に立ってしまえば鋼の体で泣けない彼のためではなくただ情けない顔を弟に晒したくなかっただけなのかもしれないといまさら自覚する。
だがそんな考えも空しく、ここまできて、結局憎まれ口を叩いてでも意地を張る自分がいる。
『万物の流動の中、生き物が土に還るのが当たり前』
受け入れろ、と言った厳しいけど優しい大人の言葉がよぎる。
それができないことは罪だと痛いくらいに知っているのに、自分は。
いなくなるだけ、の状態がなぜこんなにも苦しいのか。
前兆があればこんな気持ちはなかったのだろうか。
事故、なんてあっけなさすぎる。
それもなにも、目の前で轢かれなくてもいいじゃないか。
そんな、悪態を吐いてしまうのは仕方がないことだろう?
笑ってしまうくらいにあっけない終わりをわざわざ見せ付けていかなくてもいいのに。
「『あんたより先には死にません』って約束、後悔なんてしてないけどさ」
俺、あんたの葬式には出ないから。
今ここで、言うことはそれだけなのか、と思うと少し笑えた。
動かなくなった体は、鋼のように冷たく凍えて。
血の通わないそれは、"生きて"はいないのだと。
「なら、少なくとも私も君の葬式なんて縁起の悪いものに出席する機会はないというわけか。それはそれは僥倖だね」
はっはっは。
そんな笑い声が付いてきそうな、少し早口の言葉。
思わずエドの口をついて出てくるのは呆れの溜息だった。
「順当にいったって俺の方があんたより先に死ぬわけないだろ」
「いやいや。日々弛まぬ努力でもって各地を走り回る君の方が死期は近いかもしれないよ?」
「とか言いながら、陰でゴキブリ並みの生命力だとかぬかしてんだろ」
「おや。知っていたのか」
この狸が。と思いながらエドは横に立つ男を睨み上げた。
「大体にしてなんで大佐がここにいるんだよ!?」
「たまたま現場に居合わせてしまったんだから仕方あるまい」
「人死にが出たんでもないのに、わざわざ大佐がくることないだろ?」
「寝覚めが悪いじゃないか」
「んなことゼッテー思ってねぇ!」
「……君の泣き顔が見れるかな、と思ったんだが」
潤んですらいないエドの目元を見て、ロイは笑う。
「期待はずれだね」
「あんたの期待になんて応えるつもりないね」
小さく舌を出して嘯くエドの反応にもロイは気にした様子もない。
「名前は?」
「……つけてない」
「そうか」
小さな土盛の上に置かれた小さな墓石代わりの石と、千切られた白い花を前に、それきり黙って立つ。
成り行き。行きずり。そんな理由でほんの少しの間だけ、面倒を見たとも言えない瞬く間触れていた小さな猫だった。
「……っくしょ……」
感傷的な自分の気持ちが、とても安っぽいもののような気がするから、隣に立つ男を詰って意地を張ってでも泣かない。
泣かせてもらえないこの場所に、ひどく安堵するのも悔しいが。
「……泣いてたまるか……」
春の、だけど少しだけ冬の余韻を残した涼しい風が持て余した感情と共に呟きを攫って過ぎていった。
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