欲するものすべてを持ち合わせているのなら
それを"神様"だと、呼んでいいのだろうか
英雄ですら近づけない、それを


「なぁ、大佐ぁ」
「なんだい?」
「"神様"って信じる?」
「美しい女神なら信じてもいい」
「あんたに訊いた俺がバカだった」


欲するものすべて
すべて
望むものすべてを
手に入れるなんて本当にできるのだろうか














 いつも通りの午後。
 慣れた道を通り、慣れた廊下を歩いて、見知った相手と適当な挨拶を交わしながら、目指すはいつも通りの扉。
 いつかこの扉に穴を開けて置いたらどうだろう。公共物破損で嬉々として軍法会議にかけると脅され、借りが一つ増えるのがオチか。錬金術で簡単に直せるだろ。いやいや、そんな精神で簡単に物を壊すなんて許されると鋼のはそう思っているのか?

 うわ。くそムカつく。

 ひとしきりの想像で勝手に腹を立てたエドは、八つ当たり気味に少々乱暴に目の前のドアを叩いた。
「あら、エドワード君」
 ノックに反応したというよりは今まさに扉を開けようとしたところで扉を叩かれた、というようなタイミングで顔を現したのはエドの八つ当たりの矛先にはなりえない人物で、エドはあわてて一歩退いた。
「えと…大佐は?」
「中にいるわ。どうぞ」
「ありがと、中尉」
「ごゆっくり」
 ゆっくりはしたくない、と思いながら結局長居することが少なくはないエドはなんとも言えない表情ですれ違いに部屋を出て行く彼女の背を見送った。
「ぼんやりしているとうっかり後ろを取られて死んでしまうよ?」
 入室を促しているのか退室を奨めているのか分からない言葉を投げかけた部屋の主を振り向いて、エドは一瞬忘れかけた理不尽な怒りをまた思い出した。
「ご忠告どーも」
「どういたしまして」
 嫌味を流して、書き途中の書類にペンを走らせる彼はまだ顔を上げない。
「言われてた報告書、書いてきたけど」
「あぁ。ご苦労様」
 どっちがご苦労様だ、と思いながら机に積まれた書類を見る。
 自分の腰あたりに位置する木製の板の上に積まれた紙の山は胸の辺りにまで達する。
「なんかあったの?」
「日々何かある結果だよ」
「溜める方が悪いんじゃん?」
「生憎と書類処理だけが仕事ではないんでね」
 カ、と木製の机にペンの音を立てて一枚の書類を書き終えたロイは、それをペン立てに置いてやっと顔を上げた。
「やぁ、鋼の」
 爽やかな微笑を湛えてそう告げた目の前の男を一瞬絞め殺したくなったが、それはそれで面倒くさくてエドは思いとどまった。
「…なんで今更挨拶すんだよ」
「挨拶は大切だよ」
 消えない笑みは、あからさまに『揶揄ッテイマス』と示していて、エドは自分の眉間に皺が増えるのを感じた。
「報告書、確認」
 こめかみに青筋を立てながら引きつった笑みを浮かべ書類を突き出すエドに「つれないねぇ」と呟きながらロイはそれを受け取った。
「じゃーな」
「待ちたまえ鋼の」
「んだよ」
 書類の不備の見落としなんてしていないはずだ。ロイを相手にするからには不手際なんてないように、そういうことには大雑把な自分が舐めるように報告書を何度も読み返したのだから。
 それでもまだいちゃもんつける気か、と身構えたエドの胸元にロイは無造作に机の端に放置されていた本を一冊押し付けた。
「へ…なにこれ?」
「間の抜けた質問だな」
 苦笑を浮かべての言葉はいつものような苛立ちを増幅させるものではなかったから、エドはおとなしくその本を受け取る。
「何、コレ」
 今度のそれは本の内容を尋ねたものだった。
「かなり昔の文献で、信憑性は疑わしいがまぁ、気晴らしにはなる」
「なにそれ」
「錬金術というよりは神話のようだよ」
 一通り目を通したらしいロイのそれを評する口調を聞く限り、あまり期待はせずに読むもののようだ。
 それでもこの忙しい中用意してくれたのだ。そこで素直にならないほどエドは子供ではなかった。素直になったところで報われたことは大概無いが。
「サンキュー、大佐」
「どういたしまして。お礼はもう少し分かりやすい報告書で頼む」
「期待しないで待っててよ」
「少しは期待させたまえ」
 珍しくまともな受け答えの大佐に笑って、エドはぱらぱらと渡された本の古くなったページを捲った。
「神話…ね。なぁ、大佐ぁ」
「なんだい?」
「"神様"って信じる?」
「美しい女神なら信じてもいい」
「あんたに訊いた俺がバカだった」
 ぱたり、と本を閉じて踵を返しかけたエドに、ロイは相変わらずの笑い顔で応じる。
「そんなものだよ、"神様"なんて」
「どんなもんだよ?」
 足を止めたエドの胡乱げな視線に、ロイは形だけで笑っていた。
「結局自分の中の空想のようなものでしかない。局面に立って役立つモノだけが頭数に数えられる」
「神頼みはしない派?」
「好機は自身の徳。逆境は覆す楽しみ。それでも最期の最期にいつかは神に縋ってしまうのかもしれないがね」
 だから、『そんなものだ』と。
 告げたロイの言葉に頷くことも否定することも無く、エドは黙り込んだ。
「君はどうなんだい?鋼の」
「さぁ…どうなんだろうな」


 少なくとも、助けてくれる神様なんていなかった。
 最も、頼んですらいなかったけど。

 それともやはり、近づきすぎて見限られたのだろうか。


 自分の考えに笑いそうになった時、不意のロイの声がそれを遮った。
「鋼の」
「ん?」
「もし私が、君の望みをひとつだけ叶えよう、と言ったらどうする?」
「……は?」
「君の望みを、何でも」
 それは大人が子供に「サンタクロースに何を貰うの?」と訊くのではなく。
 エドが本当に「何を」望んでいるのかを知った上で、それを叶えてあげるよ、さぁ言ってごらんと誘惑されているようだった。

「そしてそれが叶えられたら、私は君の神様になりうるのか?」

 欲するものすべてを持ち合わせているのなら
 それを"神様"だと、
「君は呼ぶのかい?」


 『そんなものだ』よ。


「まぁ君は嫌がると思うが」
 まるで明日の天気でも語るように言って、ロイはまた新しい書類に視線を落とす。話の最中にいつの間にかエドの報告書は処理済の紙の山に埋もれていた。
「大佐さ」
「今日は妙におしゃべりだな」
「うん。仕事の邪魔しようと思って」
「…続きは?」
 諦めたように小さく息を吐きながら、ロイは先を促す。そんな仕種を見せながらも目と手は書類に向かっている。
「太陽に近づきすぎた英雄の話知ってる?」
「あぁ。…あぁ」
 二重の頷きは、エドの言わんとしているところを知ってというよりは、何かを思いついたというような皮肉を含んだものだった。
「そっくりだが、君は英雄じゃあないだろう」
「貶してんの?貶めてんの?」
「どちらでもないよ。愚者でも一応は英雄と君とを一緒にはできないね」
「どういう意味だよ?」
「君は地面に落ちれば受身を取って跳ね起きる。羽が無くとも足は健在だ」

 解決。

 また一枚、書類を書き終えて別のそれに手を伸ばすロイはエドには視線を向けずに面白がるように言う。
「…無能」
「…何を根拠に今その言葉を言うんだ君は」
「で、望み叶えてくれる云々は?」
「もう充分君に尽くしていると思うが」
「男に二言はないだろ、大佐」
 喉の奥で猫のように笑い声を食みながら、エドはロイから視線を外した。
「悪かったな、仕事の邪魔して」
 なぜか渇きを覚える喉からそれだけ搾り出して、エドは今度こそ踵を返した。


 欲するものすべてを持ち合わせているのが"神様"だと、
 望むすべてを手にしたのが"神様"だと、
 そう言うのなら。

 英雄が誰であろうと、
 神様は、自分しか成り得ない。


 小脇に抱えた古ぼけた本を手の中に持ち直して、慣れた廊下をエドはいつも通りに歩き出した。










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いくらなんでもさすがに受身を取る前に死ぬ方に一票。
下が水でも可能性はかなり低いですね、英雄さま。