庭の隅っこに咲いた花。
名前も知らない白い花。
「なんだっけ…?」
首を傾げても思い出せない。
日の光を拒むように反射する、真っ白い花。
古ぼけたブリキのじょうろに水をたっぷりと汲んできて、その白い花の上に少しだけ傾ける。
さわさわと音を立てて、葉に、花に当たった水は、乾いた土に吸い込まれて染みを作る。
じょうろを持ち直して、もう一度傾ける。
と、今度は花と手の間に小さな虹が出来た。
七色には足らない、小さな小さな、花のようなそれに気付いて、じょうろを左手に任せて右手を伸ばす。
だが掴む前に虹は消え、ぴしゃぴしゃと手に雫が降る。
またじょうろを持ち直して、再び手を伸ばす。
繰り返し繰り返し。
「…何をしているんだ…?」
「あ、ユーリ」
頭より少し高い位置にある窓から顔を覗かせたユーリを振り仰ぐ。
呆れ顔でユーリはスマイルの足元を指し示す。
「溺れているぞ」
「あ」
虹の捕獲に夢中になっていたスマイルの気付かないうちに、じょうろの中身はほとんど土に零れ、花の周りに水溜りを作っていた。
びしょ濡れのスマイルの手を見下ろし、ユーリは溜息をついた。
「触れられるはずもない」
「それでも触りたいんだけど」
「視覚したからといってそこにあるとは限らないだろう」
「理不尽だねぇ」
「お前も似たようなものだ」
「あぁ…そっかぁ…」
主成分、光と水。
足元で溺れている花も、似たようなものなのに。
異質。
偶然跳ね返った光でしか存在を主張できない幻想。
「でもキレイだよね」
じょうろの中に残った少ない水を、躊躇いなくひっくり返す。
はれた昼下がりの光の元、水を吸いすぎてどろどろの土の上に、溺れかけた白い花に無慈悲に降り注ぐ。
広がった水溜りに、日差しがてらてらと照り返す光。
「ねぇユーリ」
「なんだ?」
「……やっぱいーや」
じょうろを握ったままそう言って、一人で可笑しそうに笑う。
声が、庭に響いた。
庭の隅っこに咲いた花。
名前も知らない白い花。
それでも全然構わない。
明日には枯れて腐る 現実 よりは 幻想 の方がはるかにキレイ。