数分前までは何の変哲もない時間が過ぎていたのに。
 浮かんだその嘆きか後悔かも分からない愚痴すらもかなぐり捨てる勢いで綱吉は懸命に走っていた。腕の中に一人の子供を抱えて。
 後ろからいくつかの制止の声がかかっているのだが、聞いていたら自分が死ぬ。
「…なんでこんな所で…」
 たまたま偶然、数人のイタリア男に囲まれている美少女を発見してしまったのが運の尽きだ。単純に彼女が口説かれているならありふれた光景だと通り過ぎるのだが、囲んでる男達の雰囲気が堅気のものではなかった。しかも多勢に無勢。正義漢ではない綱吉でも思わず足を止めた。今にして思えば止めなければよかった。
 その一瞬後、囲まれていた少女がふと綱吉を見たかと思うと男達には気付けない程の早業でどこからともなく拳銃なんて取り出したのだ。綱吉の日常はここで完全に終わりを告げた。
 持ち前の平凡すぎる存在感を生かし、出来る限りのスピードで綱吉はその集団の中から件の少女だけを抱えて逃げ出した。
 その際後ろでかかった声は、勿論カモを掻っ攫われた男達のものもあるがその他に自分の護衛についてきていた人間の分もあっただろう。図らずともそちらの方々まで撒いてしまう羽目になった。
「ナンパかなんか知らないけどいきなり銃はないだろ!?」
「しつけーしウゼーし仕方ねぇだろ正当防衛だ」
 あっけらかんと応える少女は、見た目だけなら文句なく美少女だ。だが絶対に見間違えるものか、この物騒すぎる子供を。

「過剰防衛も大概にしろよリボーン…」

 久しく顔を合わせていなかった彼。そう彼だ。女装しようが見分けが付いてしまった彼は自分の記憶より成長していたが、中身に殆ど差はないようだ。
 必死に走りながら抗議する綱吉の言葉を無視した彼は、腕の中に納まったままするりと綱吉の首に両腕を巻きつけ肩の辺りに顔を埋めた。傍から見る目があれば羨ましい光景かもしれないが、やられている方が感じているのは命の危険のみだった。
 しかし彼は綱吉のその微妙な緊張感などお構いなしだ。
「もっと丁寧に抱いて欲しいぞ、ツナ」
「耳元で囁くなー!!」
 ぞわりと鳥肌と立てた首筋がむず痒い。落とすぞチクショウ、と思いながらも首を取られたままでは振り落とすことすら出来ない。今はそんな労力すら惜しい。
 入り組んだ路地の中を勘だけを頼りに突き進む。この辺りの土地勘がない自分ではそのうち見つかってしまうかもしれない。
「…女絡みの恨みは恐ぇぞ?」
「俺は悪くないー!」
 思考を読まれたのかぽそりと呟かれたリボーンの言葉はいやに説得力があった。自分は彼らの命のために逃げているというのにどうして恨まれなければいけないのだ。
「ま、追いつかれたら結局は無駄な労働だな」
「殺す気満々!?」
「あいつら帰すと後が面倒だからな」
「…どういうこと?」
 思わず立ち止まって綱吉が顔を覗こうとすると、リボーンはぷいと視線から逃げた。
「ちょっとリボーン?」
「………。今何時だツナ?」
「へ?えーっと…」
 リボーンを抱いている腕を懸命に伸ばして腕時計の文字盤を窺う。
「もうすぐ4時」
「ち、」
 小さな舌打ちの音も耳元でやられれば嫌という程鮮明に聞こえてしまう。
「リボーン?」
「綱吉」
「…ハイ」
 つい居住まいを正してしまうような声に応じると、彼はようやくこちらを向いた。
「…って近い…」
「喜べお前をこっから逃がしてやる」
「え、ホント!?」
「ああ。その代わり、」
 にこり、と天使のような笑みを浮かべたリボーン。吐息がかかる程の至近距離で見ても可愛い顔は確かに天使と形容しても構わないかもしれないが、綱吉にしてみれば悪魔のそれにしか見えなかった。
「その、代わり?」
 恐る恐ると問う綱吉に、悪魔は魅惑的な声で答えた。

「明日のお前の予定は俺のモンだ」

 傲岸不遜に突きつけられた要求はおいそれと頷けるものではない。
「待てよそんなの…」
「無理だなんていわせる俺だと思ってんのか?」
 返答に困る綱吉の頬に不意にゴリ、と硬いものが押し付けられる。
「返事は?」
「…分かりました」
 ゴリゴリと頬を圧す彼の愛銃の感触に、綱吉は涙を堪えて頷いた。
「じゃあ明日朝10時にさっきの場所でな」
 銃を収め、腕を解いたリボーンはフレアスカートの裾を泳がせ難なく地面に着地した。
「あいつらはもうさっきの場所に戻る頃だ。この道をまっすぐ行って教会に突き当たったらそこを左側の道を行け。広場に出る」
「リボーンは?」
「ヒミツ」
「…あんま危ないことするなよ?」
「誰に言ってんだ」
 それもそうか、と納得した綱吉は日の落ちだした町の中へと再び駆け出した。駆け出してから、そういえば久しぶりの一言さえ忘れていたことに気付いた。










* * *










 約束の次の日。
「ゴメン、おめでと」
 出会い頭に突然並べられた言葉。その後ろ半分に心当たりがなかったリボーンはぱちりとひとつ瞬いた。
「お前昨日誕生日だっただろ?」
「…ああ」
 その事か、と納得してふと思い出す。
「お前は今日だろ?」
「うん…。獄寺君が物凄く残念がってたよ。前から今日は絶対空けておいてくれって言ってて何かと思ってたんだ。でもリボーンの用って言ったら泣く泣く送り出してくれたよ」
「そりゃ悪かったな」
「全然『悪い』って感じじゃないんだけど」
 くつり、と笑って謝れば綱吉は呆れたように息を吐く。
「で、何の為に俺が要るの?」
「潜り込みたいパーティーがある」
「…パートナー役?」
 リボーンは昨日と同じような雰囲気の服を纏っている。つまりは今日も女装だ。
「ああ。ただしお前そのままじゃボンゴレってばれる可能性があるからちょっと弄るぞ」
「お手柔らかになー…」
 昔より諦めの早さに磨きがかかったのか、投げやりに言って綱吉は大人しくリボーンについて歩き出す。
「ところで、何の仕事?」
「決まってんだろ?」
「…だよなぁ…なんで女装?」
「今回ヤるのに楽な方法だからだ」
「…女好き?」
「依頼主の動機の問題だ」
 不明確な答えに訝しげに綱吉が眉を寄せる。
「愛人盗られたんだと」
「………。」
 少し長い沈黙の後にようやく意味が掴めたのか、綱吉の表情が歪む。
「伝統的なマフィアらしく…殺してくださいって事?」
「その通りだな」
「えぇと…それは…なんていうか…」
「寝室でヤるのが一番早ェだろ?」
「…そーですね…」
 嫌そうに顔を顰めたまま。感情が駄々漏れだ。こんなのがマフィアの世で名高いボンゴレのボスだなんて言ったところで信じる奴がいるかどうか。
「ってことは昨日の奴らは…」
「目標の部下だ。あの時間にあの辺りにいるって聞いたから行ってみりゃ運悪く絡まれた」
「お互い幸先の悪い誕生日だなぁ…」
「祝いの歌でも歌うか?」
 Tanti Auguri、と綱吉も知っている歌のラインをなぞるリボーンに綱吉は小さく笑う。
「仕事が終わったら一緒にお祝いしようよ。獄寺君達とさ」
 ウィッグの上からさらり、と頭を撫でる感触。昔は頑なに許さなかった接触が今はこんなにも容易い。

「俺へのプレゼント代わりに、お前の時間もちょっとくれない?」

 笑顔のままそう求めてきた綱吉。その顔を見るとなんとなく、それでも構わないような気がしたリボーンは適当な了承を口にして離れた綱吉の手をとった。
「リボーン?」
「一応は成長したな」
「どっちかっていうと俺の台詞だよなぁ…それ」
「百年早ェぞ」
 お互いのやり取りはまるで代わり映えがないなとひとりごちながら、リボーンは随分と長い間言い忘れていた祝いの言葉を隣りの人物へかけてやった。
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お仕事の話は書くとエグイ事になるので割愛…orz
なんか全然祝えてないような気がしますが気のせいって事でここはひとつ。


071012