*キラがザフトでシンの上司という設定。
会議室から流れてくる人、人、人。
今しがた終わったばかりの会議は大人数が収集をかけられていたのだから、流れ出る人の数は相当のもの。この人波を逆流するのは至難の業だ。しかも人一人を探し出すなんて無茶だ。
「後でもいいんじゃない?『今日中』って期限しか切られてかないんだし」
「あのな、ルナ…」
「なによ。向こうだってこんなところで渡されても困るでしょ」
「オレはさっさと義務を果たしたいの」
「後回しでもいいなら後回しにした方が効率いいわよ」
正論。
ぐっと詰まって睨むシンを、ルナマリアは勝ち誇った目で笑った。
「てことで、食堂行きましょ。レイが待ってるわ」
「ルナただ腹減っただけだろ」
「なぁに。友達1人食堂で待ちぼうけさせるのがシンの友情?サーイアク」
「な…違う!それとこれとは…っ」
「効率悪いのは認めたでしょ?」
「でもっ…」
「『急がば回れ』って確か隊長の言葉よねー。コトワザ?だっけ」
まるでこちらの言い分を聞く気のないルナマリアの重ねた言葉に再度詰まる。
所詮彼女に口で勝とうなんて百年早いのだ。
「…『一刻千金』とも言った」
「なにそれ」
あっさり流した彼女に聞こえないよう小さく舌打ちして、シンは未練がましく流れる人波の後ろを振り返った。
「あ。」
「え?」
シンの間の抜けた声に思わず振り向いたルナマリアは、目を瞬かせ結局シンと同じような声で「あら」と呟いた。
「どうしてこんなに人がいるのに見つけちゃうのかしらねー」
背はそんなに高くもないし、髪の色も目を引くような鮮やかな色ではない。ともすれば人込みに簡単に埋没しそうな華奢な後姿。
だというのに、シンの視線を追いかけると、意外と簡単にその人を見つけられることを本人以上にルナマリアは知っていた。知っていたからこそ早々に諦めさせようとしたのに。
だが、ルナマリアが止める前に探し人は自分たちとは逆方向にさっさと歩き出してしまっていた。
「あら」
2度目の呟き。と同時にシンもルナマリアの呟きの原因を視界に納めていた。
「どっちにしろ今は無理ね」
愛用品の小さなモバイルを抱えて、少しだけ気を緩めた顔で先を行く相手を見据える"彼"に、シンは顰めた顔に更に皺を増やながら断ち切るように"彼ら"から視線を外した。
* * *
コール。
応答。
『はい』
「シン・アスカです」
『あぁ。どうぞ』
ロック、オフ。
オープン。
「失礼しまーす」
クローズ。
ロック。
一連の自動動作の間も今も、まったくディスプレイから顔を上げやしない相手に、シンは眉間の皺を数本増やした。
だがその不満を口には出さずに、相手のデスクの上に一枚のディスクを差し出す。
「報告」
「ありがと」
やはり目線が合わない。
「キラ」
「"ヤマト隊長"」
「…スミマセン"隊長"、伺いたいことがあるので出来れば早急に目を通していただきたいのですが!」
シンの不機嫌な声に、脇にあったディスプレイからやっと顔を上げたキラはシンの顔を見て小さく吹き出した。
「君は賭け事に向かないだろうね」
「なんでですか」
またあからさまにムッとした声音で問うてしまい、それが笑われる原因だと一瞬後に気付いた時にはもう遅い。
「分かり易すぎ」
「
――― っ…別にそれで困ったことなんてないですよ!」
反論も、微かに溢された笑い声に効力を失う。
頬に血液が上る感覚を懸命に無視して、シンは持ってきたディスクを差し入れるキラの動作を出来る限りのポーカーフェイスで見ていた。
が、それも唐突に上がったキラの笑い声に台無しになる。
「な、何笑ってるんだよ!」
「だ…だってもー…っ可笑しい!」
「キラ!」
つい先程注意されたことも忘れて名前を呼ぶと、今度は相手も咎めることを忘れてディスプレイを指す。
それに従って覗き込めば、そこに映されているディレクトリに表示されたのは、報告書のファイルではなくプログラミングファイルで。
「間違えた…っ!!」
「あはは!報告に課題ディスクなんて持って来たの君が初めてだよ」
「これはっ…ルナが…!」
食堂に言った後一度ルナマリアの部屋に寄って、出てくる時に貸された昔の資料の方を間違えて出してしまったのだ。間違えたのは完全にシンの責任だが、課題資料をわざわざ報告用ディスクと同じようなディスクに入れて渡したルナマリアにまったく非がないとも言い切れないところである。
「へー…君らの時ははこんなのやったんだー…」
勝手に資料を開いていくキラを止めることも出来ずに、口を何度か開閉させて、結局諦めの溜息をつく。
「こっちが報告」
「了解。ご苦労様」
「………。」
またディスプレイ釘付けになってしまった相手のそっけない横顔を渋面で眺めていても、鈍さ120%、無敵の隊長様は気付く気配がない。
「キラ」
咎められないのをいいことに呼んでみる。
執務室では、基本的に許されない呼び名。
特別な場所でだけ許された、甘い響きの。
「…キラ」
「シン」
いきなり呼び返されて、シンは驚いて姿勢を正した。
その反応にまた少し笑いながら、キラは間違えて渡された方のディスクをシンに差し出した。
それをまだどこかぼんやりと受け取ろうとしたシンに、キラは今までとは別の意味で唇を歪ませた。
「………?」
「僕から課題」
「え…」
「そのプログラム効率を10%上げてきて、僕に再提出すること」
「は?」
「ちょっと古い型だから、簡単だよ」
「ちょっと、て」
彼の、プログラムに関する限りの『簡単』は信用してはならない。
自分の、他人には解読不可能なプログラミングをもってして『常識』と思い込んでいるような相手の言葉なんて信用できない。
「なんで、」
「できたら、ご褒美あげるよ?」
そんなガキじゃない。
と、言えたらいいのに。
それはなんとも魅力的な言葉だった。
「じゃあ」
「ん?」
「これ、出来たら」
「うん」
「"アイツ"の半径5メートル以内に入らないで」
一瞬意味が分からないという目でシンを見た相手が、次いであぁ、というように目を瞬いた。
「次の任務の共同作業相手だから無理だよ」
シンの言うところの"アイツ"を思い浮かべて、キラは苦笑する。
あの幼馴染はどうしてこうも彼に嫌われるのだろう、とやはり少々鈍く、内心首を傾げながら。
「分かってるよね?」
「分かってる。けど」
聞き分けのない子供のような、拗ねた表情になっていることを自覚して、それでもシンはそれを直すこともせずにひたすらにキラを見る。
逸らされない視線に、不意にキラが口元を綻ばせた。
「確かに」
揶揄うような笑みではなく、苦笑。
「君は損しないよね、その素直さで」
「………は?」
「ヤだな。そういうの専売特許だったんだけど。アスランはよく引っかかるから」
「…キラ?」
「じゃあ」
しょうがない、というように息を吐いて、キラはシンにもうひとつディスクを差し出した。
「…なに、コレ」
「僕の試作のプログラム。ZGMFのXに積むOSの前の前段階くらいのヤツ」
そんな機密プログラムっぽいもの一介の兵士に渡すな、と言いたいが、言ったところで無駄だと分かっているからシンは口を噤んだ。
「それのバグがいくつあるか当てられたら、そのお願いは聞くよ」
と。
とんでもないことを、言われた。
「そんなの無理だろ!!」
「君のお願いは同等の無理があるよ」
「無いだろ!理不尽だ!」
「お互い様。さぁ一分一秒が惜しいと思うし早くした方がいいよ?」
『時は金なり』っていうもんねー、とまたディスプレイに戻った視線が楽しそうに細められる。
どうせなにを言っても聞く耳を持たないと悟って、シンは無性に悔しい思いを抱いたまま部屋を駆け出した。
- 後日 -
「で、結局?」
「『分からない』って降参してきて、帳消し」
「だろうな」
シンに渡したプログラムと同じものを覗き込んでいるアスランが溜息を吐く。
「バグなんてあるわけない」
「さすがアスラン」
「『いくつあるか』なんて訊いた時点で答えはゼロだ」
「その通り」
「そんなんでいいのか?」
「当たり前」
アスランの問いに、キラは晴れやかに笑った。
「君に無いあの馬鹿正直さが好きなんだから」
「…ごちそうさま。」
「お粗末様」