枯渇し続ける知識欲のため。もしくは、
お勉強
画面に浮かぶ文字を一瞬で読み取って、即座にキーを打つ。
それを何度か繰り返していると、横に置いておいた通信機が小さな呼び出し音を立てた。
「ハイ」
『あ、オレ』
「"オレ"という知り合いはいないと何度言えば分かる」
『もー何回も言ってんだからいい加減分かるだろ?声で』
「そっくりそのまま返してやる。お前の方こそいい加減理解しろ」
『ま、いいや。今から行くから』
「どこに」
『そっち』
「どっちだ」
『……わざと?』
「なにがだ?」
『機嫌悪いケド、どうかなさいましたか、女王様』
「……いい度胸だ。さっさと来い」
『りょーかい』
ドアを開けた瞬間に殴り飛ばしてやろうと熱く決意して、イザークは画面の続きをこなす。
それは初歩的な2次元の数学知識を試すもので、学校からの課題だ。
提出期限までにはまだあるが、やっておいて損はない。
残り僅かな問題をさっさと終わらせようとキーを叩いているうちに、それに没頭していたイザークは後ろで微かに響いたドアロック解除音と開閉音に気付かなかった。
とてとてと中に入り込んだそれは、イザークの背を見て歩みを速めた。
椅子に座っているイザークの横までやってくると、一生懸命首を伸ばして画面を覗こうとする。だがそれはどうにも低すぎる身長のせいで叶わない。
仕方なく、彼はイザークの服の裾を引っ張るという所業に出た。
唐突に下に引かれたイザークは、腕を取られてキーを叩きそこなった。
「っ!なんだ!?」
「いざーく。なにしてるの?」
「……お前か……」
また勝手に、と聞こえないように呟いて、イザークは顔を顰めた。
「遊んでー?」
「遊ばん」
「なんで?」
「俺はやることがある」
「なにしてるの?」
「勉強」
「えー?お勉強?」
「遊んで欲しいならディアッカに頼め」
「だってでぃあっかいないもん」
「そのうちくる」
「いつ?」
「そのうちだ」
「『そのうち』っていつー?」
執拗なキラの問いにただでさえ少ない忍耐力が更に削がれたイザークは無視を決め込むことにした。
以前似たような状況でイザークが感情のままに怒鳴ったら、怒鳴った以上の五月蝿さで泣き喚かれたので、懲りたのだ。
「いざーくー」
「……………」
「いざーくったらー」
「……………」
「いざ…」
3度目の呼びかけに、来客を知らせるセキュリティの音が被った。
「でぃあっか!」
すでにセキュリティの音は聞き分けられるキラがそれに即座に反応して部屋から駆け出る。その後姿を見送って、出迎えの一発殴りを諦めたイザークは途中だった画面にまた向き直った。
「おかえり!」
「……『おかえり』と来たか…」
オレの家はここじゃないけど、と告げずに、とりあえずディアッカは迎えられたままに家に入った。
「『おかえり』じゃダメ?おかしい?」
「『おかえり』の意味、キラは分かってるか?」
「外から家に入ってきたら『おかえり』?」
「ちょっと違うな。外から家に“帰って”きたら『おかえり』」
「帰って…?」
「そー。ま、家に限らず、戻んなきゃいけないところに戻ってきたら、か」
「?じゃあ今は?」
「『いらっしゃいませ』じゃないのか?」
「……いざーく、でぃあっかに言ったことないよ?」
「『おかえり』も言わないだろ。『よく来た』くらいは言うけど。稀に」
物凄く機嫌の悪いときに限って、とディアッカは心の中でひっそりと付け加えた。
「『おかえり』は、ボクが外から家に入った時にだこすた君に言われた」
「タコスだ君?」
「だこすた君。今はいないよ」
知らない名前が出てきたことに首を傾げつつ、ディアッカはイザークの部屋の前でコンソールを叩く。
「お邪魔してまーす」
『………入れ』
ドアロックが解除され、ディアッカは開いたドアの中に入る。キラもそれに倣った。
「『お邪魔してます』もあいさつ?」
「そう。ってか『お邪魔します』な。ヒトの家に入るときに言う言葉」
「……何の話だ?」
「言葉の勉強」
「でぃあっか、今日はなにするの?」
「んー…勉強」
「えぇー…」
「お前も勉強すれば?ここで」
「ディアッカ!」
「分かったー」
頷いた途端に走り去ったキラを今更止められずにイザークはディアッカを睨む。
「何しに来た」
「言ったじゃん。勉強」
「は?」
「変な共同課題出てただろ?早めに相談した方がいいだろうし」
そういうことに関して歩み寄りという言葉を知らないイザークのために先んじて動いたと言うわけだ。
さすがに文句を付けられないイザークは不機嫌顔のまま黙った。
「今更だけどさ、意外だったな。イザークが学校通うとは」
「どういう意味だ?」
「通信のカテキョだと思ってた」
「あぁ…最初はそうしようとしたさ」
「じゃ、なんで?」
「アイツが五月蝿いからに決まってるだろう!」
「あー…キラね」
よくもまぁこの癇癪持ちに懲りずに突っかかっていくもんだと感心するところではある。他にすることがないのも確かだが。
「お前は?」
「ん?あぁ…集団の中にいる方が知る顔も増えるだろ」
「将来のため、か?賢しいことだ」
「ま、否定はしないけど?集団生活もうざいが別に嫌いじゃないし。ところでさ」
「なんだ?」
「あいつに言語学習プログラムとかやらせたほうがいいと思うぞ」
「あぁ…確かに語彙が少ないし発音も危ういな」
「つーかマジにあれコーディネーター?」
「ここにいるんだから当たり前だ」
「だよなぁ…にしちゃ成長遅いよなー。なんでだろ」
「知るか」
「あいつも来年あたり学校入れるんだろ?それとももう1年待つとか?」
「母上は来年同じところに入れるおつもりだ」
「……いっそ今のうちに色々教え込んでスキップさせれば?」
「学び取れない方に一票だ」
「言ったな?なに賭ける?」
「賭けたつもりはない。勝手にやれ」
「へーい。お、来たな」
音声認識でロックを外して入ってきたキラの手には、子供用の小型コンピュータが納まっていた。
「よ、と。……なんだ。学習用の機能入ってるのか」
「んー…それ好きじゃない」
「……これ入れたのイザークだろ」
「うん」
「ガキのやる気削ぐようなのばっか」
「本来そういうものだ」
「使用者の性格見てやれよ。もっと遊びっぽいの入れるか」
「遊び?遊ぶの?」
「そうそう。遊び。頑張ってクリアしろよー」
「うん!ありがと、でぃあっか!」
「どういたしまして」
満面の笑みで頷いたキラに応えて、ディアッカは自分の事に取り掛かかる。
楽しげに画面に見入っているキラが、果たしてどれだけ飽きずにやるかが問題だ。
「ま、やってもやらなくてもオレはいいけど」
所詮勉強なんて、必要最低限以外はただの暇潰しなのだから。
イザークに聞こえれば確実に異論が飛んできそうなことを考えて、ディアッカはキラの頭を軽く叩いた。