それに見合う努力があればこそ許容される。
プライド
キラの勉強の手伝いと言う名目でジュール家に入り浸り気味のディアッカ。
この日も当然のようにイザークはお供を従えて帰ろうとしたところで、その考えは突然簡単に覆された。
「今日は行かないから、キラに伝えてくんない?」
まず人を伝言に遣うな!という怒りが最初に湧いた。
湧き出せば限が無かった。
帰り際に突然言い出すな、とか。
最初にその意を伝えるべきは何をさて置いてもとりあえずは自分ではないのか、とか。
そもそもいつもいつも家に入り浸ってることが正当のようになっているのか、とか。
というか毎日のように家に来ている理由はなんなのか、とか。
一部何故今まで問いたださなかったのかが疑問視されるが、そこを正すと自分にさえ色々と矛盾点を突きつけなければならず、それはイザーク自身の精神構造上大問題だったので不可能だった。
キラという存在は名目であって本筋ではない。ディアッカがそこまで救いがたいお人よしかと訊かれればイザークは即座に『 No 』と答えられるからだ。
ただし今イザークを悩ませているのはそれらの滾々と湧き出る問題ではなかった。
本日ディアッカがジュール家に赴くことが出来ない理由は何かと問えば用があるから、と言う。
その用とは何かと訊けば、習い事だと言う。
その習い事とは何か。答えは『にちぶ』だった。
『ニチブ』とは一体なんなのか。
それが今イザークを唸らせている疑問だった。
「『イニシアチブ』の短縮系か?いや、意味が通じん。『にちぶ』…」
「あ、おかえりイザーク」
「あぁ。只今戻った…『にちぶ』…」
声をかけられて律儀にそれに応えながらまったくその相手が目に入っていないイザークはさっさと自室にこもってしまった。
それに首を傾げて玄関の方に視線を戻したキラだったが、待てどももう一人の人間が「お邪魔」と入ってくることはないようだ。
調べ途中だった本を抱えたままキラは階段を駆け上がった。
内側から特別なロックをしない限りはキラにでも開けられる電子錠。それに向かって開錠命令をするのももどかしげにイザークの部屋の扉を開ける。
中のイザークは、すでに机に固定されたディスプレイの前でキーを叩いていた。
「『にちぶ』…ニチブ…ニホンブヨウの略語?」
「イザーク」
「ニホンブヨウ…地球、極東に位置する国の伝統芸能…もっと詳しく…」
「イザーク?」
「……………」
次から次へと映る文章とそれに伴う映像情報。それら全てを呑みこんでいくイザークにキラの声は聞こえていないらしい。
仕方がなくキラはイザークの机の端に手をかけ、精一杯背伸びをしてその画面を覗いた。
「あれ?」
どこか見覚えのある映像が流れる画面をしばらく凝視して、キラは首を傾げた。
「……日舞?」
キーワードが耳に入ったのか、イザークはやっとキラの存在に気付いて目をむいた。
「お前っ…また勝手に入ってきたのか?」
「だって気付かないんだもん。イザーク」
悪気がなければいいってものじゃないんだと何度言い聞かせても聞かないキラにいい加減なけなしの忍耐力もなくなりそうなイザークだったが、感情に任せて怒りをぶちまける前にキラが画面を指差した。
「日舞、でしょ?これ」
「あ?あ。そうだ」
頷いて、はたと気付いた。
「知っているのか?」
「うん。日本舞踊でしょ?ディアッカが教えてくれた」
キラの言葉に、イザークの忘れかけていたディアッカへの怒りが再燃し始める。
あの馬鹿コイツには無駄な知識を与えるくせに…!
半ば以上八つ当たりだが、生憎ここにいるのはそれを咎める人間ではなく、イザークの内情なんてお構い無しのお子様である。
「"ヤマト"っていうのが、古い日本の呼び方だから、なんか関係があるだろうからって」
「………。」
間違っても感心を表に出さないイザークは、キラの言葉を脳内で反芻してくるりと画面に向き直った。
「イザーク?」
「うるさい。オレは調べ物の途中だ。さっさと出て行け。今なら許す」
「えー…ヤダ」
ささやかな抵抗を試みるが、無視しているのか聞こえていないのか反応は皆無だった。こうなったイザークは梃子でも動かないことをキラももう悟っている。
「………つまんない」
呟いた言葉もやはり無視され、キラは仕方なくイザークに張り付いているのを諦めた。
そして次の日。
広い教室の端の席に荷物を置いたディアッカを見つけるやいなや、イザークは突進に近い早歩きで一直線に向かっていった。
「あ、イザー…」
「『ニチブ』の稽古は捗ったか?」
「え…あぁ。キラに訊いた?」
戸惑いつつもディアッカがそう確認すると、それを是と言うのも面倒だといわんがばかりにイザークはぞんざいに頷いた。
「それで昨日調べていて随分と興味深いものを見つけてな」
「調べて?なにを」
「そもそもニチブとは古くは"ニホン"という国の神事、とりわけ庶民的な部分を言うなら鎮魂儀礼などに用いられた芸能技術だそうだな。しかしそこから今日までに多数の流派に渡り、内容は複雑化して一般的な安易な娯楽要素が大分削られ、しかしながら過去のその国の伝統を技術面でも精神面でも受け継いでいる無形ながら歴史的価値のある…」
「イザ」
「人の名を中途で切るな。なんだ?」
「興味あんの?」
「その芸能技術自体にはないが、過去の民衆の知見などを知るには面白い資料だとは思ったぞ。それでだな、」
立板に水。止める間もなく口を挟む隙さえ見出せず。
結局ディアッカは、求められるがまま持っている日舞に関する古い資料を貸し出すことを約束するまでイザークのその珍しい種類のマシンガントークをぶちまけられるのだった。
「やっぱ面白いな…」
それは、5歳の時に初めて会った時から変わらぬ印象だ。
本人に告げる日は永遠に来ないかもしれない、幼い彼の日の自分が彼に声をかけた理由を。
半ば呆れ、半ば感心の態で、ディアッカは満足して隣りに座ったイザークに気付かれないように呟いた。