しとしとと。


静かに、浸すように。


雨が降る。


















" what's what, it may be alive "



















「はうあー…雨だね」

 ガラス窓の向こうにぽつり、とぶつかった雫に気付いて理緒が顔を上げる。
 窓際に座っていた香介はそれに気付いて振り向いた。
 間を開けてまたガラスを叩く雫。気まぐれなそれに目を細めて、香介は呆れたように理緒に視線を移す。

「雨だろーと雪だろーと霰だろーと、どうせお前は外に出れねぇだろ」
「気分の問題だよぉ。部屋の中だって湿ってくるし、それに…」
「安心しろ。今日は雷じゃねーってさ」
「そんな天気予報なんて当てにならないよ!」
 うるうると涙目になった理緒に言葉を詰まらせ、香介は溜息をついた。
「布団かぶって寝てろ」
「こーすけ君のいじわる!!」
 言いなれた言葉に香介は肩をすくめただけだった。
 ぷぅ、と頬を膨らませていた理緒は諦めて息をつく。

「…弟さん、どうしてるかなぁ…」

 小さく呟いた言葉は、まだ勢いのない雨音には消されなかった。


 弟さん。
 そこに入る言葉は、以前は"清隆様"のみだった。


 理緒に気付かれないように溜息をついて、香介は立ち上がった。
「本降りにならねーうちに行くかな」
「あ、待って…っ!」
 慌てて追うように立ち上がった理緒が、胸を押さえて小さく呻く。
「!ったく、気をつけろよ?」
「ご…ごめん。大丈夫」
 舌を出して悪戯っぽく笑い、理緒は香介を追い抜いて玄関に歩いて行く。
「これ、持ってっていいよ」

 持ってっていーよって。

 差し出された折り畳み傘に、香介は頬が引きつるのを感じた。
 理緒が差し出したのは、まさしく彼女にお似合いのパステルピンクの可愛い小さな傘。

 これを持って行けってか。

「…気持ちだけ貰っとく」
「えー!?どうして?」
「いやがらせか…?」
「違うもん!こーすけ君だって体調万全じゃないから、気をつけてって意味で!」
 唇を尖らせる理緒に苦笑して、香介はその頭をぽん、と叩いた。
「だからってなー、男がこれ持ってたらただのお笑いだろ。どっかで買ってくからよ」
「むー…分かった」
「じゃな。無理すんなよ」
「お互いにね」
 ドアを押し開けて、それが自然と閉まるのを待たずに、香介は雨に煙る外へと歩き出した。






 いつだったか。
 こんな、静かな雨の日だった。


『救いはある。
やがてどこかで、光は差すさ』

 微笑を浮かべて。いつもそうして笑って。
 彼は言う。
 繰り返し、繰り返し。


『信じる者の、幸福』


 信じなければ救われない。
『じゃあ、信じたところで救われる保証はどこにある?』

 皮肉った言葉にさえ、彼は微笑む。


 誓いは破られ、法は犯され、当たり前にヒトは醜く、脆いのに。

 皆で仲良く手ぇ繋いで平和に生きるなんて出来るか?






「っと、悪ぃ…って」
「…浅月?」
 ぼんやりと歩いていたせいでぶつかった人物に反射的に謝罪した香介は、その相手を見て顔を顰めた。
「…ぶつかっておいてなんでお前が俺を睨んでるんだ」
「別に睨んでねーよ」
 答えながら、香介は無感動な瞳を見ないように目を伏せた。

 なんでも何も、ただムカツクとしか言いようがない。
 無償に腹が立つ理由は、今この瞬間に目の前に現れたのが"鳴海弟"だったこと。
 それこそ、"鳴海歩"には悪いが。

 だが歩はそんな香介の心情お構いなしに訊ねてくる。
「お前、傘は?」
「あ?持ってねぇよ。見りゃ分かるだろ」
「どこに行くんだ?」
「教える義務なんてあるのか?」
「ないな」
 透明な安物のビニール傘を持ち直し、歩は香介から視線を外した。
 それを追って見やると、見慣れたコンビニエンスストア。
「金があるなら、買えばいいだろ」
「…買おうと思ってたところでお前にぶつかったんだよ」
「嘘だな。もう通り過ぎてるだろ」
「…っそこのコンビニが嫌いなんだよ!」
「生憎と、そこを逃してこのまま歩いて行くのなら、しばらくコンビニなんてないぞ」
 少々苦しい香介の言い訳に淡々と答え、歩はすたすたと目の前のコンビニに入っていく。
 タイミングをずらされて唖然とした香介は、我に返ると仕方なくその後を追った。




 迷うことなく雑貨品の棚に進み、レポート用紙とHBのシャーペンの芯を持って歩はレジに向かう。
 それにペースを崩されながら、香介はレジの近くにあったビニール傘を買った。

「ありがとうございましたー」

 間延びした声に見送られ、外に出る。
 相変わらずの雨は、広げた傘に当たってぱらぱらと音を立てる。

 黙って歩き出した歩の帰り道と香介の行き先は、奇しくも同方向。
 ほぼ同時に店を出てきたせいで歩の後ろを歩くことになってしまった。


 尾行にしては距離が縮まりすぎで、友人にしては距離が離れすぎている。
 他人の振りをするにも、どこか気まずい位置関係。
 だがその居心地の悪さを感じているのは香介だけのようだった。


 気にしすぎ。考えすぎ。意識しすぎ。

 だが考えないようにと思えば思うほど、気にかかるのは性分だった。


「なぁ」
「……………」
「オイ、鳴海弟」
「…俺に言ってたのか?」
「明らかにお前しかいないだろ」
「それもそうか」
 しゃあしゃあと言った歩にまたイラつく。
 険しくなる顔を自覚しながら、香介は透明な傘越しに空を見上げた。
「自分で振っておきながら会話を放り出すなよ」
 肩越しに少しだけ振り向いた顔に浮かんだ苦笑。


 どうして自分はこんなに身近にこの顔を見ることになっているんだ?

 相手の何がそんなにムカツクのかわからないのに、理由のない苛立ちだけが膨らむ。
 理由のない、否、その原因が目の前の人間だってことだけは確か。


「どうして」
「え?」
「なんでてめぇ、のうのうと生きてんだ?」
「………浅月?」


 それが"鳴海"の血?
 生死を分ける戦いにいきなり放り込まれたところで、終わってしまえば簡単に日常に戻る。

 自分とは違う、イキモノ。
 神の領域。


「死ぬほど恐かったし、今だって思い出せば震えそうなくらいだ。だから逆に逃げてる」
「………お前が?」
 嘲るような声が、勝手に上がる。
「『鳴海清隆の弟のくせに』、か?」
 それこそ痛いくらいの自嘲を浮かべて、歩は香介を振り返った。
「どうせ俺は、お前らの"救い"にはなれないんだよ」

 続けた言葉に、香介は目を見張る。


「手を汚さず奪う手段も、傷つけずに殴る方法も知らない。殺さずには進めない。うまい生き方じゃないだろ?……それと同じくらい」

 いや、きっとそれ以上に?

「俺は、生きるのがヘタクソなんだろうよ」





(結局俺は、こいつに)

 ―――――こいつに救われたいから。



 だからこんなにもイラついてる。






「じゃあ、俺こっちだから」



 それまでの会話などなかったように離れる歩に、なにかをいうほどの余裕もなく、香介は呆然とその後姿を見送った。





 じわじわと、心に滲むように、雨が降る。



「…なんで、お前なんだよ…」



 全てを今は覆い隠して、降り、流れる。
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雨企画。ミスチル "ALIVE" BGM