味気ない。
「…なんか言ったか?」
「いや、別に」
しれっとした声で返して、香介は首を傾げてこちらを見る歩を見もせずに首を振る。
一瞬眉を顰めたが、歩はそれ以上の追求はせずに手元の雑誌に視線を落とす。
香介も似たような体勢で、歩の広げている雑誌とはまた趣旨の違うものに視線を落としていた。それはあくまでも表面上であって、さっきから適当にページをめくるものの内容はまったく頭に入っていない。
要は考え事の間の手慰みに弄っているだけなのだ。
それはふと浮かんだ好奇心のようなものなのだけれど。
本人に訊けば一瞬ですむものも、訊いて答えが返らないことを考慮に入れるとおいそれとは口にできない。
自分の中の結論はさっき思わず口に出していた『味気ない』。
ふ、と相手に気遣われない程度の小さな溜息を吐いて、香介はやはり読んでもいないページをまたぱらり、とめくった。
初めてのキスはレモン味。
なんてよく言うが、どこをどう取ってレモン味なのか乙女心がいまいちよく分からない(分かりたいともあまり思わない)香介。甘酸っぱいと言いたいのだとしても、レモンはそもそも蜂蜜漬けにでもしない限り酸っぱいだけである。
そして、数を重ねたキスはじゃあ何の味がするのか。
そもそも軽く触れるだけのそれでは味も何もないと思う。強いて言えばリップや口紅の匂いが鼻につくとでも言えばいいのだろうか。女子限定だが。
そして相手を味わうようなものにおいては、夢のない話、味は相手の口内にお任せである。
それでもって香介の出した結論。『味気ない』に辿り着く。
生々しいことを言えば言えなくはないが、そこは言及せずにそれこそ食事と同じように「甘い・酸っぱい・辛い」などのはっきりした味覚を突き詰めると、味気ないな、と思うのだ。
生憎と未成年であるからというよりはそれに手を出すことの億劫さでお互いに煙草を吸う習慣はない。よってよく言う煙草を吸うものの"苦味"はありえない。
味が欲しいわけではないが、自分が味わっている味は相手が味わっているものと果たして同じか否か。気になりだすと意外と気になり、しかしながら本人に面と向かって訊くのはちょっと避けたい。だからといって訊かなければ分からないわけで。
そんな無駄な堂々巡りを繰り広げる香介は、ふとポケットの中に入っていたあるモノを思い出して、雑誌から顔を上げた。
「なー、歩?」
「あ?」
「イチゴとオレンジとグレープとレモン。どれがいい?」
「…は?」
再び雑誌から顔を上げると、今度はあからさまに不審の目で見られた。
だが上げ連ねたものから菓子の類だと予想をつけたのか、少し考えるように視線が宙を彷徨う。
「…レモン、か、な」
多分甘みの少なそうなそれを選ぶような気がしていた香介は、予想的中に少し笑いながらレモン味のキャンディの包みを破った。
頬杖をついたままぼんやりと香介の動作を眺めている歩の傍まで行って、隣に腰を下ろす。
口の中に小さな飴を含むと、舌に甘みと酸味が広がる。
用意周到に自然な動作で眼鏡を外して机に置くと、香介は歩の項に手をかけた。
「…え…?」
急に引き寄せられた歩の口から漏れたのは間の抜けた一文字だったが、それにかまわず呆気にとられたままで半開きの唇に舌を這わせる。
「んん…?」
キス、というよりは味見に近かった。
絡み合わせた舌の間に融けかけの飴がじわり、とまた味を広げる。
その味を確かめて、香介は歩から手を離した。
「どんな味?」
「…レモン味だろ」
「甘酸っぱい恋の味ってヤツ」
「………男が言うと可愛げも何もないぞ」
「まーな」
悔し紛れに呻いても笑って頷く香介に、溜息をひとつ吐いて歩はそれ以上の不平を諦めた。
「で、いつもはなに味だ?」
「味?」
「味。」
再び頷くと、怪訝そうな表情が余計に曇る。
「…味で定義するものじゃないと思うけどな」
結局困惑したような怒ったような複雑な表情でそれだけ言うと、香介は「ふーん」と呟いて何かを考えるように外した眼鏡のレンズを覗き込む。そしてまるでそこに答えでも見つけたかのように「あ、」と唐突に呟いた。
「分かった」
「…なにが?」
「味っつーか…とりあえず、"美味い"んじゃね?」
「…もうお前は喋るな」
「不味いっつーよりいいと思うけど」
「うるさい。読書の邪魔するな」
苦々しげに言った歩は、それ以後口の中に残った甘酸っぱい飴が融けるまで一言たりと香介の相手をせず、眉間にくっきりと皺を寄せたまま雑誌にまた視線を落とすのだった。