「こーすけくーん!」
「あー…?って理緒走んな!」
 聞きなれた声に振り向いた香介は、走り寄ってくるその姿を認めた瞬間に逆に走り出すことになった。犬が棒に当たるが如く、彼女が走れば漏れなく転ぶ。
 理緒が転ぶ前に傍まで駆け寄り、ふとその周りに漂う甘い匂いに気付く。
「理緒、なんか甘いもん食った?」
「え?あ、違う違う。食べたんじゃなくて、持ってるの」
 後ろ手に持っていたものを香介に差出して、理緒はにこ、と笑う。
「チョコブラウニー」
 少し油を滲ませたペーパーバッグは確かに匂いの発信源。
 中身を見れば、言われた通りダークブラウンのブラウニーのかけらが数個入っていた。
「お願いv」
「…はいはい」
 溜息を吐いて香介はそのひとつを摘み上げて口に入れた。
「………75点」
「ええー…なんで?」
「ちょっと甘すぎ」
「そっか…」
 うう、と小さく唸った後に気合を入れるように拳を握る理緒の動作を見ながら、香介はもうひとかけらを口に入れる。
「『甘すぎず、ぱさつかず、粉っぽさがなくなるように生地の混ぜ方には注意して、焼き具合が肝心』、な。後は?」
「『お好みで』」
「そりゃ困るな」
「でも絶対『美味しい』って言わせたいの!」
「あの鳴海弟を唸らせるには相当の腕前が必要だろ」
「そこは愛情でカバーする!!」
 真剣な顔でそう言い切った理緒に、香介は一瞬頷きかけた。
「いや、ま、ガンバレ。着ていく服は決まったのか?」
「うー…まだ。弟さん、どんなのがいいかなぁ」
「さぁ」
 そこまで訊かれても歩の好みどころか感情ひとつも正確に読み取ることなんて難しいというのに。
「いいや。ありがと、こーすけ君。あげる」
「おー」
 ぱたぱたとまた懲りずに廊下を走っていく理緒を見送ると、香介は渡されたペーパーバッグを持ち直して理緒が去った方とは逆の方向へ振り向く。
 そして数歩先の角にいた相手に、袋を差出す。
「で、どうよ?」
「確かに甘いな」
「点数は?」
「……80点」
 それこそ彼にしては甘い点数の付け方が意外で、香介は訝しげに相手を見る。
「5点分は、一応気持ち、だろ?」
「あー。なるほど。ホントに有効なわけ」
 表情も変えない相手に思わず笑ってしまう。
「やっぱ読めねーな」
 ペーパーバッグの口を畳んだ香介は残った甘い後味に苦笑して「ごちそうさま」と呟いた。
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