『えいえんなんて』の少し後の話。前ふたつよりは明るいです。
もう今更だよ大丈夫、という方はどうぞ下へ。















「…珍しい客だな」
 清隆の、穏やかな笑声を含ませたような言葉に眉を顰める。
 同じようにその声に反応した人物は、こちらを見て確かに意外そうに目を瞬いた。

「ラザフォード…?」

 確信を持たない声。この距離ではこちらを認識できないのか、それともただ単に人の顔を忘れてしまったのか。視力低下は予想の範疇だったが後者だったら笑えないな、と薄ら寒い皮肉を伴ってアイズは彼の傍へ歩み寄った。
「久しいな、アユム」
「ああ、久しぶり」
 表面上は穏やかに挨拶を交わし、アイズは彼の背後に笑顔を張り付かせたまま立っている清隆を無言で見つめた。
「おやおや。私は邪魔かい?」
「少なくとも共にいて面白味が増す見込みは無いな」
「やれやれ」
 子供の我儘に付き合わされたような反応を見せて、清隆は小さく笑った。
「では君にこの大役をお任せしよう」
「…車椅子を押すぐらい…」
「まあ似合わないけどな」
 清隆の揶揄を含んだ言葉に憮然と応じれば、車椅子に乗ってる張本人の素直すぎる茶化しが入った。
 押し黙って、ただ兄の方の退去を促す。穏やかに笑んだまま立ち去った清隆がいつも以上に癇に障るが、相手はそれを楽しんでいる節があるから顕著な反応は避けて確かに慣れない車椅子の後ろに回りこんだ。
「何処に向かえばいい」
「道なりにのんびりどうぞ」
 どこか楽しげな声がそう応じる。嫌なところがまた清隆に似たな、とどこか今更な感想を抱きながらアイズは言われたままに動き出した。
 舗装された道の上を、しかし僅かな凹凸に振動しながらゆったりと進む。
「…なんだか気味が悪いな」
「気分が優れないのならすぐにでも部屋に返すが?」
「遠慮する」
 揶揄いの延長だと知ってアイズがそう言うと、歩は苦笑した。
 背後からではそうあからさまに分かるものでもないが、その時は歩が少しばかり後ろを振り返っていたので横顔から表情が僅かに窺えた。
「それで、本題は?」
 首を僅かに逸らして、歩はアイズに視線を向ける。
 肩の凝りそうな体勢をすぐに諦め、その顔はまた前を向いたが。

「…倒れたと聞いた」

 短く告げる。やはり今度はその表情が窺えない。
「まずい状態だったそうだな」
「……まあ、な」
 歯切れ悪く、歩は肯定した。
「でもまさかそれであんたが来るとは思わなかった」
 口調から、少しの揶揄を読み取ったアイズは僅かに眉を顰めた。
「偶々こちらにいたからな」
「そう機嫌を損ねるなよ」
「………。」
 後ろも見ずにこちらの表情まで読み取ったかのような取り成しの声がかかるのがまた面白くなくて、アイズは沈黙した。
「確かに、ちょっとまずかったらしいけどな」
 落ちかけた静寂を上手く避けて言葉が滑り込む。
「まだ、死にやしない」
「…リオが、」
 出てきた名前に歩は「竹内?」と首を傾げる。やはり彼女ともしばらく会っていないのだろう。
「気にしていたようだ」
「…こっちに?」
「ああ」
「それは…」
 悪い事を、と言うように言葉が切れる。確かに、タイミングが悪過ぎたという部分もあるだろう。
「………。」
 少し前に落としてきた沈黙を拾い上げてしまったようだ。
 静かにただ椅子の車輪を転がしながら、アイズは視線だけを上に向けた。


 これでいいのか、と。


 問いかけたくなった瞬間は数え切れない。是非を問うのではない。ただ、こみ上げるのは切なさのようなものだ。僅かなりともこの少年に望む物があった、それを否定できないからこそ覚える、理不尽な感情。
 彼の状況を自分に置き換えてみれば、それは果たして耐えられるものなのかどうかと考えてしまう。考えたところで、自分の可能不可能など関係無しに彼は耐えている、という事実だけが残る。
 そしてその度に思い至る。


 自分は彼の幸せを望める立場には無いのだと。


「なんか、面白く無い事考えてるだろ」
 不意をついて耳を掠めた声に我に返る。
「…そう、だな」
 不愉快な事を考えていた。正直に答えたアイズを振り仰ぎ、歩は笑った。
「そういう顔をするな。あんたには感謝してるんだ、これでも」
 どういう顔だろうかと頭の片隅で思いながら、アイズは訝しげに歩を見返した。
「あんたが、色々考えながら同情なんて見せずに時々釘刺しに来てくれるから俺は見栄を張れる。兄貴達じゃ、いい加減慣れがあるしな」
「………。」
「浅月が、俺の意識のない時に限って病室に来てるのも…竹内のことも」
 一度、息を吐くように言葉を切る。実際彼は、自分を相手にしている僅かの間にも随分と疲労しているのだろう。
 だが今はそれを見なかった事にして、アイズは先を待った。
「俺自身が、立ち止まる要因になるかもしれない。あんた達を全面的に信じてるなんて言えない。だけど、それを乗り越えられない、とも言わない」

 そして願わくば、と。

 サイコロを転がすように彼は、自分の残りの生命を賭けるのだ。
「それが今のところの、俺の答えだから…」
 風の音に浚われ、言葉は途切れた。ざあっと雨粒が地面を叩いたかのようなざわめきは一瞬で消え、そして続くはずの言葉もその一瞬で終わっていた。
「風が出てきたし、戻るか」
「…連れて行ってくれ、か?」
「まあここに置いて行かれたらさすがにあんたを恨むぞ」
 自力で帰れない事も無いがリハビリにしてはハードすぎると、言っている内容の割には淡々と続ける歩に溜息を吐いて、アイズは来た道を戻るために車輪を動かした。
 轍も残らない道に散らばる木の葉が、今は何故だか少しだけ憎らしかった。
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最終回後をシリアスに。締めにアイズ様。


070315