息遣いはふたつ。
「誰、だ?」
「人に聞くときはまず名乗れ」
 再びの問いかけはそっけない拒否でご返却。予測していたものの、相手の考えが読めないうちに下手に動くことはできない。
 姿が見えるのは一人だけ。外見で見る限りはただの少年。
 だが感情の見えない口調と表情はいやに冷静で、薄いレンズの下から睨んでもどこ吹く風のようだ。
「…言えないか」
 沈黙でもって応えると、少年の口から意外と早く諦めの言葉が漏れた。
「行くならさっさと行ってくれ。巻き込まれるのは御免だ」
「…この辺の人間か?」
 あからさまに『関わりたくない』という言葉にそう問えば、訝る視線が刺さる。
 それでも香介に引くことはできなかった。
「出口知らねーか?」
 切羽詰っている時に形振り構っていられない。その思いから早口に訊ねると、顰めた顔が呆れに変わる。
「入り口が出口だ」
「ひとつしかない、ってこと…ですか?」
「まぁ、そうなるな」
 理緒の質問に頷く答え。その語尾に小さな電子音が重なった。
 その音源を探る前に、少年の傍から声が上がる。
「ひとつ下の階に2名様ご案内です」
「一部屋ずつしらみつぶしか…厄介だな」
「どうします?」
 姿の見えないもう一人は少年の傍にいるらしい。瓦礫で姿は見えないが、少し幼さを残した女声に含まれている感情はどこか楽しげだ。
 相手の意図が見えないままに固まっていた2人に、少年は溜息を吐いて向き直った。
「いち、さっさと出てって捕まる。に、瓦礫の中で機会を窺う。さん、こちらの言うことに全面的に従う。どれがいい?」
「随分意地の悪ぃ選択肢だな」
「この状況で選り好みしてる場合じゃない。どれだ?」
「…理緒」
「……………」
 険しい表情で少年を睨んでいた理緒は、きゅっと拳を握り香介と一度視線を合わせて頷いた。
「さん、です」
「だそうだ」
 理緒の応えを少年は斜め後ろに流す。
「具体的にはどうします?」
「5階南側粉砕。あと2階南側崩してくれ」
「了解です。ちょっと派手にいきますよ!」
 楽しげな宣言の直後に、床がびりびりと振動を伝え、積みあがった瓦礫から破片が崩れだした。
「この建物は外装が2層になってるから、こちら側の壁を崩せれば、もう一層外側の窓がある」
「かといってここは3階だろ。飛び降りはちょっと厳しいんじゃないか?」
「そう。だからいっそ建物のどっか瓦礫の山にして降りた方が早い」
「南側低層部分全壊。高層部分崩壊止まりました。足止めもばっちりです」
 にっこりと笑って少年の後ろから出てきたのはその声音の通りの少女。その手の中に納まっているモバイルを確認して、少年は面倒そうに足元に転がってきた瓦礫を払った。
「じゃ、行くか」
 ピクニックに。と続きそうな軽さで声をかけた少年の行動に理緒と香介は顔を見合わせ、次いで黙って頷いた。





















 廊下の途中から見事に崩れ去った瓦礫の山が見えた。
「足元の保障まではしないから気をつけろよ」
 それなりの高さを持つ瓦礫の山にまず踏み出した少年。それに続くようにモバイルを起動させたままの少女が続く。
 操作ボードを繰りながら器用に降りていく少女に感心しつつ、香介は理緒を助けながら慎重に瓦礫を踏み降りていく。
 時折バランスを失って崩れる瓦礫に足を取られつつもどうにか地面に降り立った香介は、同じように地面に降りてきた少年に声をかけようとして、それを電子音に阻まれた。
「ID解析完了。“ラボ”のハンターさんですね」
「正解だな。向こうはしばらく出られないんだろ?」
「ハイ。それはもうばっちりと」
「ならいい。さっさと行くぞ」
「ってオイ!ちょっと待てっ!」
 慌てたような香介の声に一応、と言うように少年の足が止まる。それに倣って少女も足を止めた。
「お前らもさっさと行けよ。今のうちに」
「そーですよ。そう長くないですよ。ラボの人達お仕事熱心ですから」
「なんでお前らが“ラボ”のハンターのこと知ってるんだ?」
 香介の鋭い視線とは裏腹にのんびりとした反応で少女が首を傾げる。
「おかしいですか?一般知識としてラボ…ドールラボラトリーのことは知られていると思いますけど。それにラボのハンターさん達のお仕事も。不良品の回収作業でしょう?」
「今ID解析してたんだろ?ラボのID解析できるソフトなんてどこにもねーだろ」
「やですねぇ。『どこにもない』ものなんて、このご時勢に無いですよ」
 はぐらかすように笑った少女の言を香介は黙って睨むことで否定した。
「…仮に、それが手に入るものだとしてもそれはラボ関係者の協力無しには無理なはずです。ソースは全て部外秘。独自ネットワークから盗み出すことは容易ではありませんし」
「でも不可能ではないです」
「0コンマ以下の話だけどな」
「しつこいですねー」
 嫌がるというよりは面白がっている。そんな少女の反応に2人の表情はどんどん険しくなる。
 そんな奇妙な緊迫を打ち切ったのは、それまで黙ってそのやり取りを訊いていた少年だった。
「どうでもいいけどな、ここで悠長にしてる暇は無い」
「あ、そうでした」
 反省の色のない声に溜息をついて、少年は香介達に視線を移す。
「長居出来る身じゃないだろ。訊きたい事があるならついてくればいい」
「え…いいんですか?なる…」
「いい。帰るぞ」
 少女の言葉を遮って一本だけ伸びる狭い路地を歩き出す少年。遮られたことに脹れながら、少女がその後を追って歩き出す。
「こーすけ君…」
「…あぁ」
 不安げな中にも決然とした瞳で見上げてくる理緒に頷いて、2人も狭い路地へと歩き出した。













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050221