出会う。 - 斉木享の場合



傘に音を立てて雫が落ちる夜。
頼りなく低廉な灯りで照らされた道の隅に、ひとつの箱を見つけてしまった。
嫌な物を見た、と思わずにはいられない。
しかしながら生憎と、斉木は見てしまったものを見なかったことには出来ない性格だった。
箱の中を覗けばやはりというか。小さな猫がぽつんと座り込んでいた。

「愛護動物の遺棄は違法だろ…」

というか法律云々の前に良心に咎められないのだろうか。こんな風に生き物を捨てるなんて。第一まだ仔猫…。
と、怒りをふつふつと湧かせていた斉木は自分が完全にその場に足を止めてしまっている事に気付いた。
いや駄目だろ。世話なんてまともに出来るかどうかなんて分かったもんじゃないし大体にしてはっきり言ってそんな暇はない。
しかしここに放置していくことを思うと、斉木の良心に僅かな棘が刺さるのも確かで。
湿り気味の煙草を口に銜えて、斉木は箱の前に屈みこんだ。
それでようやく斉木の存在に気付いたのか、座り込んでいた仔猫が斉木を見上げて小さく鳴いた。まだ上手く鳴けないのかそれとも寒さのせいか、弱い声で「に」とひとつ。傾げるように首を動かすそれに誘われるように濡れた頬に触ると、無意識にか軽く擦り寄られた。
冷えた表面と、触れた所に生じる熱。
生き物なんだよなぁと思って、斉木はひとつ諦めの息を吐いた。
「しょうがねぇか…」
出会ってしまったのだし。
もうすでに雨でいくらか濡れてしまった背広の腕に仔猫を引っ掛け、煙草に灯はつけないままで斉木はようやく数分ぶりの帰途についた。






構う。 - カノン・ヒルベルトの場合



座り込んで夜の雨に濡れるがままの子猫が一匹。
耳から尻尾の先からぽたぽた雫が落ちるそれを放っておく事は出来なくて。

「君を連れ帰ってもいいかな?」

一応のお伺いを立てて、その仔をカノンは拾い上げた。

* * *

その仔は思いの外大人しいので、カノンはそれほどに衰弱しているのかと心配になったが、シャワーで体を洗い流した後にぎこちなくも震えて水滴を飛ばすところを見ていて単にそういう性格なのかなと納得した。
ふわふわのタオルで水気をふき取って一度床に下ろすと、一度周りを見渡した後にこちらを見上げてくる。まるで「どこに行けばいい?」と問うているように見えてカノンはその行儀の良さに笑った。
「お腹は空いてる?」
尋ねながら頭を撫でてみる。なんだか思った以上にその感触が心地よくて手を耳の横に滑らせて首の方まで撫で下ろすと、むずがるみたいに首を捩って逃げられた。
「…スキンシップ嫌い?」
大概の猫は気持ちよさそうにしてくれるのになぁ、と思いつつ浅い小皿にミルクを注いで目の前に差し出してみた。
しばらくその皿を眺め、カノンを窺うように見上げ、少し近寄って匂いをかぎ、ようやく舌の先をミルクにつける。
それを見ていたカノンは、悪戯心に従って仔猫に手を伸ばした。
首の裏を指の先でひと撫でふた撫で。したところで、小さな猫は体を震わせカノンの指を手で払うように腕を動かす。
「ふふ。カワイイ」
にこにこ笑ってその指で宙に浮いた手についた肉球をふにふにと触ってみると、指をぺしりと弾かれてしまった。
「ごめんごめん。もう邪魔しないよ」
言ったカノンをなんだか疑わしげに見つつ、仔猫は再びミルクに舌を浸す。
飲み終わったら存分に構おうなんてカノンが考えている事など、仔猫はまだ思いもしていなかった。


過剰スキンシップに仔猫が慣れるのも、きっと時間の問題。






懐く。 - 浅月香介の場合



つい先日の土砂降りの日、香介は一匹の猫を拾った。
まだ幼いその仔猫は、賢そうな癖なぜだかうまく懐いてくれない。
猫は目の前でひらひら動く物に反応するものだと思っていたが、目の前で紐を振ろうが猫じゃらしで誘おうが、まったく見向きもしない。
そのくせ人の服の裾にはよく引っかかるのだ。

「お前なんか俺に恨みでもあんのか…?」

爪が刺さって抜けなくなったのか、服に掴まった(捕まった?)まま香介が気付かなかった一歩分ずるりと引きずられた仔猫がじぃっと香介を見上げている。
訊いてどうするよ俺、と自分に虚しくつっこんで引っかかっている爪を痛まないよう丁寧に外してやる。
床に下ろそうと手で抱えると、今度はその手に爪が引っかかった。
「って!いて…爪引っ込めろって!」
もう爪は引っ込められるはずなのに、なぜか香介はよく爪を立てられる。
痛がりながらそれでもゆっくりと床に下ろすと、仔猫は大人しく床に下り立ち香介の指を軽く噛む。
それが甘噛みで終わるならいいが、まだ加減がいまいち分からないらしい仔猫は下手をすると傷口を広げてくれる。
「だから痛いっての…」
手を差し出したまま呆れて弱く反抗すると、ようやく噛むのをやめた仔猫がその手をしばらく見つめていたかと思いきやぺろりと赤くなった指を舐める。

ああやばい。カワイイ。

「はー…お前なー…」
厳しさの欠片もない文句が曖昧に零れる。
結局可愛がってしまうから、学習も何もあったもんじゃないのかもしれないと薄々悟りつつ、仔猫の頭をひと撫でして香介はまた今日も諦めた。






窺う。 - アイズ・ラザフォードの場合



先日アイズは一匹の猫を拾った。
雨の日だったので衰弱死の心配もあったが、翌日には案外元気になっていたのでその仔猫はそのままアイズの家に居続けている。
それは構わないのだ。しかし何故だか仔猫に警戒されているらしく、なかなか懐いてもらえない。
この状態は双方にメリットがないと理解しているアイズは猫に関する知識を収集してはみたものの、世話の仕方が分かったところで近づかれなければ意味がない。
そこで懐かない理由を追求してみたところ、置き餌をすると懐かない原因となる事があるという情報があったので、アイズは律儀にそれを真に受け。

餌で釣ってみる事にした。

まずは定番の煮干である。
しかしピアノの陰からこちらを窺う仔猫に向かって煮干を持って待ってみても食いつきがない。
そしてアイズの方も仔猫の場合はもっと食べやすい物の方がいいのだろうかという考えに至り、煮干から仔猫用の缶詰に代えてみた。

しかし缶詰の場合は皿に開けて置くしか方法がないのではなかろうか。それはつまり置き餌という事になるのか。

と、悩んだアイズは結果掌に少量の餌を置いて再び試みるころにした。
一連の作業を鳴きもせず見つめていた仔猫はというと、ピアノの隅から少し歩み出て、にじり動くが如くじりじりと近づいてきていたのだが、しばらくしてようやく決心がついたのか恐る恐るといった態でアイズの掌にある餌に口をつけた。
石像のように微動だにしなかったアイズは、ゆっくりとそれを口にする仔猫の邪魔にならぬようにやんわりとその背を撫でてみた。
触れた瞬間はびくりと動いたものの、仔猫はその一度動作を止めただけで逃げようとはしなかった。
糸口を掴んだアイズは、ようやく一欠けの嬉しさを感じて息を吐いた。


しかしこんな調子では、仔猫が懐かない理由を悟るのにはまだまだ時間がかかりそうである。






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'06祭投稿品。








060827