『 春先の花、春咲きの青 』






 予感はしていたのだ。


 虫の知らせ的なそれをひしひしと感じながらも具体的対策を講じず放置した時点で、自分の非を見て見ぬ振りは出来ないのだが。
 なにより最終的な決定権は完全に自分のものだったのだから文句は言えない。
 害はないのだ。どちらかと言うと利がある。ただ相手の思惑通りに進んでいく事への抵抗感が素直に喜ぶ事を許さない。
 分かっていながら罠にかかりに行ってしまった自分の迂闊さを素直に責めるよりは、相手の巧妙さに歯噛みしたい気分になるのは人として仕方のないことだと思う。
 悟ったようにそう考えて、壁にかかったネームプレートからようやく視線を外して歩はドアを軽くノックした。

「どーぞ!」

 間も空けずに応えた声に従ってノブを回して、出迎えた顔に苦笑する。
 相手もやはりというか、似たような顔をしていた。


「……久しぶりだな」
「ん。ほんま久しぶり」


 この作為を恨む気はないが、どことなく疲れを感じて2人は胸中でお互いの兄を罵った。










「おかしいなぁー、とは思っとったんや…」
 ほとんど荷解きを終えた鞄の中をチェックしながら、火澄は独り言のように呟く。
「わざわざ東京の学校受けさしてしかも寮生活しろー、って。何様やー思ったけどまぁお財布握ってるお兄様やからな」
 最後を茶化すように言って、鞄のチャックを閉めた火澄は歩を振り返った。
「あーちゃんは?」
「……その呼び方はやめてくれ」
「懐かしいのに。じゃああゆ君」
「……………。」
「分かった。歩。これでええやろ?」
 無言の圧力に負けた火澄は『つまらない』と顔に書いたまま歩を伺う。呆れながらも歩はそれに頷いた。
「で?」
「あぁ…俺は元々志望校がここだったんだ」
 近場にあって自分のランクで無理をせずにいける学校。設備も上々で文句はない。
「けど家近いのに、何で寮に?」
「兄貴が結婚したから」
「あ。あー…成る程」
 ワンテンポずれたような納得の声。何の含みもない言葉からさえも何かを読み取ってしまったらしい火澄に苦笑して、歩は2段ベッドを振り仰いだ。
「お前が上でいいか?」
「そうくると思ってオレの荷物が上にある」
 階段を上ってわざわざ天井に頭をぶつけそうな位置を取りたいなんて歩は思わないやろ、と言う火澄の考えは的を射ている。
「そこまで分かっていてお前は上を取りたいのか?」
「んー。なんかええやん、上。男の子は2段ベッドの上が好きなんや」
 否定はせずに、歩は整えられた下段のベッドに文庫本を放ってその横に腰を下ろした。
「馬鹿と煙とお子様はたっかいところがお好きなんや」
「自分で言うなよ」
「歩が言ってくれへんから」
「それは悪いことをしたな」
「せや。ボケたら突っ込まんと。放置プレイほど恥かしいもんはない」
「以後気をつけるよ」
 まるで気の入らない応えを返すと、歩は後ろ手に体重をかけて強度を確めるようにベッドを軋ませた。
「せやけど…ほんま久しぶりやなぁ…」
「そんなしみじみと言うほどか?」
「小学2年以来やから…3、4、5、6、に3足して7年ぶりや」
 指を折って数える火澄に頷いて、そして顔を顰める。
 同じように難しい顔をして火澄が歩を見つめた。
「学校が作意なんは前提として、それで寮の部屋割りが偶然、なわけはないよな?」
「ないだろうな」
 どう手を回したのやら、と呆れながらもお互いにそれを追求する気はなかった。
「今は素直に再会を祝そか」
「その前にそろそろ集合時間だ」
「あ、ほんまや」
 腕にはめた時計に目を落として気付く。部屋には他に目に入る時計がなく、ともすれば簡単に時間感覚を失いそうだ。
「この部屋に掛け時計欲しいな」
「そうだな」
 同じような事を考えて部屋を見回した歩が軽く頷いた。





















「………理緒は?」
「今日は寮の顔合わせがあるので欠席です」
 かたかたとキーボードを叩きながらのひよのの答えに、なるほどと香介は頷いた。そういえばもうそういう時期だ。
 持ってきた趣味の雑誌を音を立てて机に放り出して、薄く開いていた窓を全開にする。
 穏やかで、まだ少し冷たい風が時折淡い色のカーテンを揺らす。
 手近な椅子を引きずってきて窓枠に頬杖をつくと香介は校庭を見渡して息を吐いた。まったくこの部室は眺めのいい場所にある。
「今年の桜はいい時期に咲いたな」
「ええ。入学式には花吹雪ですね、きっと」
 画面から目を逸らさずに、ひよのが少し笑った。
 その笑みが決して微笑ましい部類には入らない事を知っている香介はその笑みを胡散臭げに横目で見て「なにやってんだ?」と問うた。
「なんだと思いますかー?」
 上機嫌な声。香介は心持ち目を逸らしつつ答えを避けた。
「あと数日で新入生がいらっしゃるので忙しいんです」
「………。」
 決してど真ん中ではない答えは、しかし香介を悟らせるには充分だった。
「…楽しそうだな」
「楽しくないとは言えませんね」

 素直なことで。

 口には出さずにそう断じて、香介はさっきより深い溜息を吐いた。深く追求しない方が良い。1年かけて培われた判断力による賢い選択。
 黙り込んだ浅月に何を思ったのか、ひよのがふと手を止めて振り返った。
「暇そうですね、浅月さん」
「………、いや生憎」
「明らかな嘘は止めてください」
 ならそんな明らかな嘘すら吐きたくなる前振りを振らないでくれ、と内心で懇願しながら香介は嫌々首を捻ってひよのを見た。
「久しぶりに部活動してください」
 今度はマウスを操作しながらひよのが手招く。逃げ出すわけにもいかず、香介はまた椅子を引きずって最新機種のデスクトップの画面を横から覗き込む。
 そこにメインで映っていたのは1人の少年のデータだ。
「…別に問題ないんじゃないか?」
「経歴は問題ないです。他です」
「どこが?」
「個人データがまるで集まりません」
「…おかしい事なのか?」
 データの収集、管理の全てを仕切るのは部長であるひよのの役目だ。香介も理緒もそれには関わっていない。というより関われないというのが正解か。
 だからこそ彼女が言うことが異常か否かの判断など出来ない。
「おかしいですよ。同級生のパーソナルデータなんてその辺の女の子でも知ってます」
「…まぁ、それもそうか」
 興味があれば、の話だが。何かを知ろうとしている女子の情報網は侮れない。
「なんだか意図的に潰されてる感をひよのちゃんレーダーがびしびし感じてます」
「へぇ」
 呆れたように相槌を打つ。どんなに馬鹿らしい話だとしても馬鹿にしきれない辺りが彼女の恐ろしいところだが。
「しかも同じ感じの人がもう1人いらっしゃるんですが」
「……?それが?」
「この2人が寮で同室です」
「出来すぎてる、ってか」
「その上」
「まだあんのかよ」
「一番ビックですよ。これです」
 手前に映されていた情報と同じようなものがその下から出てくる。

 ――― ナルミアユム。

「鳴海…?」
「こっちは理由が分かります。逆に分かりやすいです」
「…もしかして清隆の…」
「弟さんが1人いるって話でしたね」
「…マジか」
 椅子の背に頭を乗せるように天井を仰ぐ。
「面倒そうだなー…」
「逆に、楽かもしれませんよ?」
 楽しそうに、ひよのは2つのデータを画面上から消した。
「理由でもあんのか?」
「乙女の勘です」
 ある意味百の言葉で説明されるよりも説得力のある答えでにっこり笑った相手に、香介はお手上げ、として見せて机に投げた雑誌を引き寄せた。
「とりあえず覚えておいてくださいね」
「了ー解」
 大人しく承諾の意を示して、香介は再び窓際に椅子を寄せてようやく当初の目的である読書に勤しみ始めた。





















「お前ずっとケータイ弄ってるな」
 入寮に際しの案内を一通り受け、部屋に戻ってきた途端に歩がそう指摘した。
「気付いとったん?」
「ああ」
 ポケットの中で画面も殆ど見ずにひたすら指を動かして。
 特別注意を受けなかったから、責任者達には気付かれなかったのだろうが。
「なんかあれやろ。校長先生のお話ー、の類ってつまらんやん」
「否定はしないけど」
「話はちゃんと聞いてあるから心配せんでええよ。てか、」
 羽織っているパーカーのポケットに手を入れたまま、火澄が歩を悪戯っぽい目で見返す。
「歩も暇しとったんやろ?よそ見してて俺の事気付いたんやから」
「その通りだな」
「やっぱり歩に優等生は似合わんな」
 楽しそうにそう言って、火澄は机の上に放置されていた歩のケータイをポケットに入れている手とは別の手に取った。
「あ、新機種や。ええなぁ…」
 二つ折りのそれをぱかりと開けた火澄は、羨ましがった割に慣れた手付きで歩のケータイを操作する。
 特にそれを咎めずに歩は片付け損ねた残りの荷物を解いていた。
「はい」
 ぱちん、と律儀にケータイをまた二つ折りにしてから火澄はそれを差し出した。
「予想通り1番に清隆ナンバー」
「勝手に入れられて消さずにそのままだ」
「そんな事だろう思った」
 受け取ったケータイを少し恨めしげに見て、歩は息を吐く。
「まぁ買って貰っておいて文句言うのもな」
「せやな。って事で俺のは11番に入っとるから」
「…なんでわざわざ」
「覚えやすいやろ?」
「覚える必要性を感じないけどな」
 素っ気無く言った歩はケータイの中を見はせずに手の中で遊ぶようにそれを転がした。
「まぁ確かに覚えんでもええことやけどな…」
 入れっぱなしだった片手をポケットからケータイと一緒に出して、火澄は覚えた歩の番号を登録していく。
「用は終わったのか?」
「ん、ああ。まぁ…多分」
 歯切れの悪い答えを追求する事もなく。歩がケータイを手放そうとした瞬間、それが震えた。
「よし。メールも送るから待っとって」
 繋がる事を確めると、次はぷちぷちとボタンを押し始めた火澄に返事はせず。歩は手放し損ねたケータイをポケットにねじ込んで、一通りの物を出した鞄を部屋の隅へと片付けた。後は必要になった時に取り出せばいい。
 やる事をなくした歩が手持ち無沙汰になる時を待っていたかのように、ケータイが短く震えた。
 火澄を見ても、にこりと笑ってケータイを示してみせるだけ。
 仕方なく再び手に取ったケータイの画面には"メール1件"の文字。受信箱を開けば案の定火澄から無題のメールが一通。


『散歩行かん?』


 そんな1行メールを読むのには2秒もかからない。
 ボタンひとつでそれを待ち受け画面に戻して、蓋をするように歩はケータイを折り戻した。
「門限までに戻れる範囲ならな」
 遠回りな了承を直接告げて、歩はまだ肌寒い外を予想してジャケットを羽織った。





















「お疲れ様、亮子ちゃん」
「理緒」
 差し出された紙パックのミルクティー。亮子は礼を言ってそれを受け取った。
 相手が持つ一回り小さい紙パックの印刷は甘いピンク色。とてもよく似合うイチゴミルクに遠慮なくストローを突き差して、理緒は亮子のベッドに腰掛けた。
「あたしは別に何もしてないけどね」
「でもだって寮内学年代表だよ?」
「寮長じゃないし」
 苦笑してストローから甘いミルクティーを啜る。
「でもなんか偉いんだー、って感じしない?」
「どうせ雑用係だよ」
「亮子ちゃん偉ーい!」
 どちらかといえば性分であって損な役回りだと思うのだが、理緒はそれを総無視してまるで我が事のように喜ぶから、なんだか笑えてくる。
「そっちも大変だろ?」
「なにが?」
「部活」
「亮子ちゃん程じゃないよー?」
 にこにこと笑いながら理緒は否定する。
 確かに体育会系な自分の部活とは違うだろうが、別の意味で彼女の所属する部は"大変"そうに見えるのだ。

 自分ならまず入らない。

 そんな部に幼馴染が2人とも所属している。
「楽しいなら別に言う事はないけどね…」
 部活動なんて、それぞれの向き不向きだ。楽しいならそれでいいが、時々もう1人の幼馴染の方がやけに疲弊して見えるのは果たして自分の気のせいだろうか。
「でも新入生が来たら確かに忙しいかなぁ…」
 イチゴミルクの仄香る溜息を吐いて、理緒は足をぱたぱたと揺らす。
「最初の内だけだと思うけど」
「そうだね」
 思案するように宙を仰いだ理緒に頷く。
「精々頑張んな」
「うん!」
 本当に楽しげに笑った理緒に、亮子も返すように微笑んだ。





















「えー。フルーツミックスなんて邪道や」
「別にお前が食べるわけじゃないだろ」
「歩はプレーンが似合う」
「似合う似合わないで決めてられるか」
「せめてアロエ」
 訳の分からない駄々を捏ねられた歩は、呆れの溜息を吐いてアロエのヨーグルトを取った。
 自分の要望を聞き入れられた火澄の方は、喜々としてストロベリーとブルーベリーの物を手に取っている。
 火澄が持った籠の中にはあと他にペットボトルのスポーツドリンクと烏龍茶。
 更にデザート類を選定している火澄を置いて、歩は雑誌のコーナーへと足を向けた。





「ヨーグルトカンパーイ」
「乾杯?」
「気分や。き、ぶ、ん!」
「…お前はスポーツドリンクで酔えるのか」
 呆れた歩に火澄は緩んだ口から酔っ払いのように浮ついた笑い声を零した。
「あははー。酔ってるかもしれーん」
 コンビニからの帰り道。
 車道と歩道の境に低く作られた車道逸脱防止用のコンクリートの上を時々飛び跳ねながら歩く火澄を2歩ほど後ろから追いかける。
「あ」
 いきなり段差からスキップするように歩道へ降り立った火澄が、脇道を指す。
「こっち」
「?」
「学校見てこ」
 寮に戻るには少し遠回りになる道へ歩の返事も待たずに入っていく。
 腕時計に一度目を落とした歩は溜息を吐いてそれに続いた。
 しばらく行くと、高いフェンスで囲まれた広いグラウンドが見えてくる。
 端々に植えられている木々と薄暗さのせいで校舎はよく見えないが、明かりの殆どついていない校舎の薄気味悪さはあまりない。
「やっぱ学校は桜やなー」
 感心の声を上げる火澄に適当な相槌を打ちながら見上げる桜は確かにキレイだった。
「夜桜にはちょい明るいけど、風流、な感じ?、やな」
「風流?」
 あまりに火澄に似合わない言葉に少し笑うと、拗ねたように火澄が歩を振り返って恨みがましい視線を向けてきた。
「笑うとこちゃうって」
「そりゃ悪かったな」
「これから歩と青春ドラマを繰り広げる舞台やっちゅうのに」
 真剣さが余計に笑いを誘っているがそれを指摘する気もなく、歩は投げやりげな返事を返して火澄を追い越した。
「どうでもいいが、いい加減戻らないと拙いと思うぞ?」
「確かに初日から叱られるんは避けたい」
 うん、と真剣に頷いていたかと思えば。

「でも、門限破りって青春ちゃう?」

「…お前の青春ってなんなんだ?」
 妙な問いをかける火澄に、逆に歩が問う。
「恥かしい質問やなぁ。今体験してる事全部やない?」
 お前の答えの方が余程恥かしい、と呟いて歩は足を速めた。













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変な…。試作品。なのでプロローグっぽい…。
一応英国兄弟もいるんですけどね…。
多分続きません。裏設定が勿体無いけど。










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