日常と呼べる、それ。
それはほんのささやかな幸福のひととき。








+雨上がりの休日+





















勢いに任せて窓を開けると、雨上がり特有の匂いがした。
少しずつ色づき始めた葉から雫を落とした風はそのまま、ほんの少しの湿気と共に髪を、頬を、撫でて過ぎる。
大きな水溜りに映る空は晴々と青く、その中をアクセントのように流れていく千切れ雲をエドは楽しそうに目で追った。

数日振りの青空だった。
セントラルを中心に広範囲、ここ数年来無かった大雨に見舞われた。
その為滅多に出ない警報まで発令され、列車を始めとする交通機関、一部の役所、そして街中の店舗が鳴りを潜めた様は一種壮観で、何時もは喧騒に満ち溢れている大通りにも唯雨音だけが音高に響いていた。
エドとアルが乗った列車はギリギリ最終で、それ以降1本も列車の出入りは無いという事だったので結局2人は何時もよりも長い滞在を余儀なくされた。
要するに、運が良かったのか、悪かったのか。

「2日…いや、3日…4日か?」
窓枠の上部に手を付き、ひょいと身を乗り出すように外を覗きながらハボックが問うた。
自らの頭上に覆いかぶさるように聞こえたそれに、色濃い苦笑を滲ませながらエドは上体をやや反らすように見上げつつ、答える。
「3日と半分くらい。降り出したのが昼頃だったって言ってたじゃんか」
「あぁ…そう、だったな。そういえば」
生返事は覚えていない証拠。
そう思いつつも、今尚思案顔を続けている男にエドは思わず苦笑とは別の柔らかい笑みを零した。
「しっかし、これで折角の非番も丸潰れになっちまったな」
器用に片手だけを忙しく動かし、ハボックは煙草に火を付けるとそう呟いた。
エドがセントラルに来ると聞いて、日頃の倍以上の仕事をこなした結果の非番2日間。
しかし結局、それは活用される事無く大雨とそれによる警報の中に消え去ってしまった訳で。
「まあ…俺だって足止め食らってるけどさ…、」
曖昧に語尾を濁して、瞬きの一瞬エドはハボックから視線を逸らした。
つい、とハボックがそれを追えば、ほんの少し、はにかんだような表情が浮かんだのが見て取れた。








けどさ、の続きは?








「…明日…は、仕事?」
「…あぁ。多分、恐ろしく忙しいだろうな」
溜まりに溜まっているであろう書類の山や、この数日間に入っていた予定の全て。
消えてしまった3日と半分のつけは存外大きいものとなって、その倍以上の時間でもって圧し掛かってくるだろうと思うと頭痛を禁じえないというか、何というか。
浮かんだ笑みを僅かに苦々しいものに変え、ハボックは長く、紫煙を吐き出した。
「んじゃあ、さ」
紫煙が空気に溶けるのを見届けて、待ち侘びたかのようにエドが口を開く。
「洗濯、しよ?」
「洗濯?」
そう思わず間抜けな声で聞き返してみれば、そう洗濯、と、また妙に神妙に返事を返されて少し困った。
冗談かと思いきや、どうやらエドは本気も本気、本当にやりたくて言っているらしい。
そりゃあ味気ない部屋とはいえ人が住み物がある訳だし、雨も手伝ってくれた御蔭で埃っぽかったりカビっぽかったりするけれども。
確かに降り続いた雨の御蔭で洗濯物は山と溜まっているけれども。
だからと言って折角の休暇の最後をそれで潰す事を思うと、明日からの超過労働の代償が頭痛では足りなくなってしまいそうだ、とハボックは口の中でごにょごにょと呟いた。
その間も細く紫煙はたなびいて、ゆらゆら揺れるそれを追うように、エドは細かく瞬きを繰り返した。
「…何で、いきなり?」
「……だって、」
言いかけて、逡巡。
躊躇うように、でも物凄く言いたげな様子で。




















風。
陽だまり。
紫煙と、笑顔。
そこにあってこそ、唯一望めるもの。




















―――だって、の続きは?








「何か、普通の事がしたいんだ。…一緒に」
自称根無し草。
けれどそう言いながらもまだ、日常を諦められる程に自分が大人でない事をエドは知ってる。
何でも良い。何だって良い。
欲しいのは、唯の平凡なしあわせ。
「…やるか、洗濯」
「え…?」
「どうせ何時かはやらなきゃいけないんだし、どうせなら2人でやった方が早く終わるだろ」
説き伏せるように言いながら、まるで立場が逆転しているのに気付いてハボックはそれが凄く可笑しかった。




















日常。
平凡。
例えばそんなしあわせ。
そんなの、誰だってその手に持っているのに。




















「終わったら昼メシ作って、部屋も掃除して、それが終わったら…今度は晩メシか?」
指を折る動作を、ぽんぽんと頭を撫でてやる事でそれに代える。
1日くらい安いものだ。
それで君が笑っていてくれるのなら。
「やらなきゃいけない事は沢山あるから1日仕事だな。…いいのか?」
「…、望む所だ!」
妙な気合を入れつつも、その顔には隠しきれない笑み。
それを見たハボックが煙草を揉み消すと、最後の紫煙は跡形もなく綺麗に風と溶け合い、唯、最後には香りだけがしばし残った。





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