だってそれは傷つけない為の、ああなんて優しくて痛い嘘。
時を選ぶ嘘。
人を選ぶ嘘。
望む望まずに関わらず吐く嘘は同じなんて皮肉だな、と思う。
名探偵にとっては特に。
「何考えてる?」
「名探偵のこと」
「どーやったら出し抜けるか、って?」
「この状況で?」
今は別にコナンが言うような『出し抜く方法』は考えていない。しかし常に隙を突いては驚かせようとはしている。それは奇術師としての性みたいなものだ。
ふ、と笑うとその笑いが気に入らないのかコナンは顔を顰める。
小学生にしては嫌な反応だが、そういう反応を見る度その後ろに"工藤新一"を見るようでキッドは内心楽しい。
「余裕だな」
「対決場所が屋外である限り俺の方が有利、だろ?」
夜景が一望できる高いビルの屋上。風向きは上々。いくらでも飛べる。
ただ、先日やられたような反撃はゴメンだ。あれは心臓に悪い。
怪盗に興味がないと言いつつ、その身を地上何メートルというのも馬鹿らしいほどの高さから身を躍らせる。その思い切りの良さは買うが、願わくば勇気と無茶を取り違えないで欲しい。そこまでの決意で追ってこられるのは嬉しいが、いかんせん下手に手を出すとこちらの身まで危ういのが悲しいところだ。
そうだからこそ警戒心は怠らないつもりだが、今日の相手はそんな風な気迫が窺えずキッドは挑発気味に誘ってみせるが、珍しく相手が乗ってこない。
それでも、今は飛び立つ気はなかった。久しぶりの2人っきりの逢瀬、と言えば多分この相手は更に渋面を作るか、呆れるか、そのあたりの予測はつく。
こっちの方が追われる立場なのにこのつれなさ。涙が出そうだ。
そんな心は表に1ミリたりとも出さずに表面はキッドの笑みを浮かべたまま名探偵と向かい合う。
「ところで今日は何の気紛れだ?今回鈴木財閥のお嬢さんは絡んでないようだし」
「別に」
「あ、俺に会いたくなって?」
「今の一言どう解釈したらそうなる」
「俺の暗号以外あんまり興味無さそうなのにわざわざ夜中にここにいるから」
ちょっとくらい期待してもいいかな、なんて思うわけだ。『別に』の一言じゃそれ以外の理由を探し出せないのも事実だ。
小さくなってから毛利探偵事務所に居候中の彼は夜の無断外出なんてそう簡単にできやしないだろうし。
そう思ったのだが。
「……一応知らせに、と思っただけだ」
「知らせ?」
「"江戸川コナン"は両親の元へ帰る」
「………。」
「もう機会があってもお前を捕まえに来れなくなるけど逃げたと思われるの癪だし」
「なるほど?」
どうやらこの名探偵は自分にわざわざ"お別れ"を告げに来たらしい。ご足労ご苦労様です、と。思いながらキッドは口元に手を当ててひとつ頷いた。
キッドはその唐突さに驚いていた。だがあくまでそれはタイミングに対しての驚きでしかない。どこかで予測としていたことも事実で、それはつまり納得に繋がる。
しかしつまらない。
相手の思惑が読めるからこそ面白くない。
「結局窃盗犯に興味はない、って?」
口ではそう言いつつ、キッドはそうは思っていなかった。確かに窃盗犯に興味はないかもしれない相手だが、それが原因ではないのは知っているのだから。
ただ、ここで放してしまえばこのお気に入りの名探偵との関わりが一方的にしかし完全に断ち切られるという予感がする。
それは困る。
小さな探偵を見据えたまま、しばらく考えたキッドはひとつの賭を思いついた。
多分この探偵に一発殴られるくらいの覚悟はいる、ベットの大きい賭。
一度深く呼吸して、キッドは数歩相手に近づく。
訝るように顔を顰めた相手は警戒するように体勢を整え半歩引く。
それに笑って足を止めた。
「ひとつ、賭けをしようか名探偵」
「………?」
「俺の出す問題をひとつ解いてそれを俺に分かる形で提示すればお前の勝ち」
「出来なきゃお前の勝ち、ってことか?」
「いや…俺の勝ちはその時にならないと分からない」
「?なんだそれ」
「後で分かる」
詮索させない、というようにそれだけ答えれば、不本意ながら従うというように相手は口を噤んだ。
それを確認して、キッドは問題を告げるべく口を開く。
「『江古田高校2年。身長178cm。体重58kg。B型。6月21日生まれ』」
「………あ?」
「『の、黒羽快斗君は"名探偵"の嘘をひとつ知っています』」
「………キッド……?」
「さて。」
意味が分からない、という顔をしている相手を見て、キッドはマントの端を掴んで翻した。
「今の言葉の中にひとつだけ"嘘"が含まれる。それを見つけることが、問題だ」
せいぜい頑張ってくれ、名探偵。
「は?」
「では」
「ちょ…オイ待てキッド!!」
とっさに意味を取れずに慌てる相手に不敵な笑いを見せつけて、キッドは煙幕を落として屋上の隅から飛び立った。
後ろで何かを叫ぶ相手の声が聞こえるが、応える気などさらさらない。
それに応えるのは問題を解かれた時。
この嫌な嘘は自分を傷つけない為の小細工。
何故嫌なのかといえば相手が望まないと知っているから。
でもどちらにしろ痛むなら、自分の為に。正直に。
「さて、どうでるかな名探偵?」
* * *
「灰原ー」
「おかえりなさい」
『どこに行ってたの?』とは訊かずにパソコン画面を見つめたまま一言。その態度が逆にコナンに威圧感を与えることを彼女は充分に知っている。大体にして訊かずとも行方は知れている。
「お別れはちゃんと言ってきたの?」
「別にそーいうんじゃねーよ」
「あら。じゃあなに?」
「………さぁ」
放り投げるように返された応えに哀は呆れたが、それになにを言うわけでもなくただキーを打つ手を止めて椅子ごと振り向いた。
自分と同じ小さな手が、慣れた様子でコーヒーを淹れてくるのをただじっと待つ。
2つのカップを持ってきたコナンは当然のようにミルクも砂糖も持っていない。香りの良い、だが小学生の身体にはキツイ濃いコーヒーの片方を哀に手渡し、どこか憮然とした表情でもう片方に口をつける。
「失敗でもしたの?」
「あ?」
「コーヒー。不味いの?」
「いや…普通だけど」
「そう」
それを確かめて哀は同じように濃いブラックに口をつける。一口飲んだところで大きな反応はない。漏れた小さな吐息だけが満足そうだということに気付ける人は早々いない。
「それで、コーヒーじゃないなら何?」
「そんなに嫌な面してっか?」
「そうね。不細工とまでは言わないけれど」
「言ってるも同然だろ……」
はぁ、と息を吐いてコナンは哀の背後のディスプレイの明かりをぼんやりと見つめる。
しばらくそうしてコーヒーを手に固まっていたコナンは、もう一度溜息を吐いて哀を見やる。
「あのさ。灰原」
「なに?」
「あの実験始めんの、もう1日待ってくれないか?」
「……別に私はいいけど」
驚いたと言うよりは怪訝そうに哀は言った相手を見る。
実験とは彼らの服した未知の毒薬アポトキシンの解毒剤の、投薬実験である。
もちろん対象はコナンだ。
完璧なデータが揃わないうちはと渋る哀を、小さな身体のまま組織に対抗することの不自由さを持ち出して説き伏せたのはコナンだ。しかしだからといって哀はまだその危険度から実験に乗り気ではないから、コナンがやめると言い出せばやめる事に異存はない。
ばつの悪そうな表情は、何に対してのものなのか哀には分からなかった。
「嫌ならやめてくれたって私は構わないのよ?」
「嫌なわけじゃない。言い出したのは俺だ」
「そう?私は勧めないけれど」
「でも止めないだろ?」
「止めても無駄だと学習したわ」
「……悪ぃ」
「決行が明日だろうと明後日だろうと私には関係ないわ。でも」
「灰原」
「…せいぜい私に殺されないよう頑張りなさい。保障はしないわ」
「あぁ」
そうして突き放されることでどこか救われていることを相手も知っているからこそ、コナンは苦笑する。頷く以外に出来ることはない。我儘を通した時点で彼女に殺されたって文句は言えない。
それを相手が望まなくても。望まないことを知っていても。
* * *
「おはよう、黒羽君。ご機嫌いかが?」
「………最悪」
「せっかく起こしてさしあげたのに、そんな顔を向けるなんて失礼ね」
「寝起きに拝むのがお前の顔じゃなければこんな顔しない」
「あら。白馬君がお望み?」
「紅子。お前そんなに俺の顔を歪ませたいのか?」
「いいえ。ちょっとした嫌がらせ程度の気持ちよ」
「あ、そ」
付き合ってられない、と快斗は立ち上がった。もう帰りのSHRもしっかり終わり、周りには掃除用具を手にする者と帰り支度途中でお喋りに転じた集団がいるだけ。
その中に目的の顔を見つけることが出来ず、快斗は目を瞬いた。
「あれ?青子は?」
「中森さんならさっき他の女子とさっさと帰ったわ。パフェを食べに行くって言って」
「あ。クソ置いてったな」
「伝言よ」
はい、と渡された小さなノートの切れ端には
『バクスイしてるのが悪いのよ!反省しなさい!青子』
と書かれていた。
「"爆睡"くらい漢字で書けよな」
「昨夜はお仕事で寝不足?」
「なんのことだか」
笑ってそう嘯けば紅子も同じように笑う。鎌かけのような言葉の応酬もいつものことだ。もう気にする気もない。
だが今日の彼女の言葉はそれだけではなかった。
「小さな光が貴方を待ってるみたいよ?」
「"光"?」
「そう。私は『関わるな』と言ったはずだけど、貴方は無駄にしてばかり」
つまらなそうに言う、紅子のその言葉で思い当たる"光"はひとつ。
否、1人。
手近な窓から校門を確かめた快斗は、何も言わずに鞄を取って教室を後にした。
いざ目の前にいる少年を見下ろし、快斗は知らず零れそうな溜息を押し殺す。
「お兄さんが"黒羽快斗"?」
「そうだけど?」
道行く他の生徒に囲まれているところを『今まさに通りかかりました』風に捉まえて、というか捕まえられて、人通りが少ない道を選んで歩き出した快斗を見上げて首を傾げる相手は完璧に小学1年生だ。
調子が狂うというか、気持ちが悪いというか、居心地が悪いというか。
幼児誘拐している気分になるからさっさと本性出せと言いたいところだが、相手の反応如何によって快斗の対応もそれ相応のものとなるから、無闇にこちらの本性を明かすわけにもいかない。
彼が"江戸川コナン"である以上は快斗も"黒羽快斗"でしかありえないのだ。
「ふーん…」
『じー』という擬音すら聞こえそうな直向さで視線を向けたままの少年に怪訝そうな顔を作る。
「ボーズの名前は?」
「僕?江戸川コナン」
「年は?」
「7歳。小学校1年生」
「へー。どこの学校だ?」
「帝丹小学校」
「それで何でわざわざ俺のとこに?ちょっと遠いだろ?」
小学生の足では。と心の中で付け足す。実際少年が見た目通りの年齢でなければ大して気にもならない距離だろう。
「うん。あのね…」
何気ない調子で話し出す相手にさぁどう切り出すのか、と内心楽しんでいる快斗はそれをキレイに隠したまま、小学生の話に少しだけ興味を示す高校生のスタンスを崩さない。
ただし、次の言葉に思わず固まってしまった。
「怪盗キッドの身長って174cmだと思わない?」
「……は?」
演技ではなく、真面目に呆気に取られて快斗は思わず訊き返した。
「あれ?お兄さんキッドのすっごいファンだって聞いたから」
『んなこと誰から』と問いたいところだが、おおよその見当はついた。おそらく門で待っている間に通りがかりの快斗の知り合いに自分の事を訊きまくったのだろう。
「お前、もしかして、新聞に出てた"キッドキラー"な小学生か」
今気付きました、とばかりに驚いてみせると、コナンは曖昧に頷いた。多分その名称が気に食わないのだろう。白馬あたりが喜んで買いそうなその名が。
「じゃあ、その身長の話は目測?」
「ううん」
頷かれたら笑ってしまいそうだったが、そうではない。
だがコナンが身長の話をしだした時点で。いや正しくはもっと前から、頭の中で警鐘が鳴ってる。
やはり、この賭は勝とうと負けようと痛い目を見そうだと。
街中のエアポケットのように人の居ない通りのひとつ。狙って歩いてきた人の気配のない道の途中には公園がある。
内緒話にはうってつけだ。
それを悟ったようにコナンは公園の手前で足を止めた。
「『江古田高校2年。身長178cm。体重58kg。B型。6月21日生まれ、の黒羽快斗君は、"名探偵"の嘘をひとつ知っています』」
あどけない子供の瞳に、剣呑な色が宿る。
それに気付きながら、まだ快斗は"快斗"でいた。
「"名探偵"って?」
「誰だろうね、お兄さん」
「俺が知ってる、"名探偵"って人の嘘?心当たりなんて」
「ない、なんて言わないよな?"怪盗キッド"さん?」
決定打。結構せっかちだな、名探偵。
それでもまだ笑って、快斗は首を傾げる。
「俺が…怪盗キッドだって?」
「ボケんな。さっきから気配が違う。挑発すんならさっさと正体出せっ」
「熱烈なラブコールだこ、とっ!」
しゃがんだと思ったらなにやら靴をいじっていたコナンの蹴りが唐突に足首を狙って繰り出される。それをギリギリで後ろに跳んでかわす。
さすがにその怪しげなシューズで蹴られたらたまらない。
「オメーの"嘘"は身長だろ。なにが178ださば読みやがって」
「俺のプロフィールは通行人で調査済みってか」
「お前が本当に"黒羽快斗"かどうかはともかくな」
「ふむふむ。じゃあ名探偵の推理の方をお聞きしましょうか?」
適度な距離を保ったまま訊ねると、眉間に皺を増やしながらコナンは快斗を睨み上げる。
だが反論が面倒で諦めたのか、息を吐いてコナンは口を開いた。
「怪盗キッドが"黒羽快斗"に変装している可能性がないわけじゃない」
「おや、消極的」
「おかしいだろ。自分から俺に正体ばらすような真似するなんて」
「まぁね」
「そう考えれば"黒羽快斗"はダミー。それで俺になにかを示したいか、混乱させたいか、はたまたもっと別のことか、とか色々考えてはみたけど」
睨み上げていた眼差しが一層きつくなり、快斗は苦笑した。
言いたいことが、痛いほどよく分かる。予測していた通りなのだろう、きっと。
その苦笑に自分の推理が正しいことを悟ったのか、コナンは苛立たしげに額に手を当て、気持ちを無理やり伏せるように一度目を閉じる。
「くそ……ざけんな」
「うん。」
「こんな真似されてっ…何考えてんだよお前!」
「酷いことしてるなぁ、とは思ったけど」
大好物の"謎"を取り上げて、こちらから答えを提示して。
「でも謝らないよ」
殴られるくらいの覚悟はあるけれど、謝罪なんてしない。
反省する余地もないのに謝るなんて誠実さの欠片もない行為は出来ない。
「"黒羽快斗"は"名探偵"が誰だか知ってる」
名探偵の"嘘"の中身を、手札を見せるように示す。
「……で?だからなんだよ」
「別にそれを切り札に『俺を捕まえるな』なんて野暮なことは言わないけど」
「へぇ?」
口端を持ち上げる。険しい瞳の色は変わらないのに微笑まれると結構凄絶な表情になる。とても小学生には見えなくて、笑いそうだった。
なぁ、名探偵。
ただその視界に入れて欲しかったって言ったら?
「……信じるかな」
「決めんのは俺だ」
この期に及んでまだ逡巡する快斗を睨んだまま促す小学1年生。痛いくらいのその視線に負けて、快斗は観念して口を開いた。
「俺は"名探偵"を気に入ってるんだ」
「……………?」
コナンの別の意味で表情が険しくなる。その顔には『理解不可能』とでかでかと書いてある。
やはり予想通りの反応に快斗は苦笑した。
元々タダでどうこうできるような相手じゃないのも予測済みだ。
「多分、名探偵のお手伝いが出来るよ」
どこからか右手に閃かせた薄っぺらなCD-ROM。そしてついでにいつもの不敵な笑みを。
それの意味するところを読み取れないほど鈍くはない相手が、喰らい付かずにはいられないように。
「……何が目的だよ」
「同盟結びませんか、というお誘い」
心の中で『まずはね』と付け足しながら。
「今なら組織の情報付き」
「……………」
「お買い得だよ?」
「………くそっ」
隙あらばといじっていた腕時計と妙な靴の脅威がなくなる。武装解除による話し合いの姿勢を整えてはくれたようだ。
とりあえずは一歩前進を確保して、快斗はいまだ仏頂面の少年に気付かれないように破顔した。
なにも語らないことを嘘と言うのなら、これは真っ赤な嘘になるだろう。
それでも今はまだ初めの一歩だから、自分に正直に相手に嘘を。
自分に優しいそれはいつも痛みを伴うけれど。
不自由な身体を抱えたまま、それでも探偵がひとつの決着をつけるのは数ヵ月後のこと。
望まれずともこの手を貸したのは言うまでもない。