an extra
「名探偵」
「……………」
「自分の役割ちゃんと分かってんのか?」
「……………」
珍しく抑揚のない怪盗の言葉に探偵は言葉を返さない。
決して反論がないための沈黙ではない。
「指揮系統に組み込まれていたわけで、実働部隊ではないよな?」
相手の珍しい部分は声だけではなく、その姿もだった。いつもの闇に映える白い衣装ではなく、どこにでもありそうなシャツにジーンズの相手は、新一の顔を覗き込んできた。
「………っめーこそ…なんで……」
黙って言い含められるのは癪に障るからと無理に声を押し出せば、意思ではどうにも出来ない部分で喉が音の無い悲鳴を上げた。
どこかで吸ってしまった煙に喉を痛めるようなものがあったのか、神経を引っ掻くような痛みが時々走る。未完成の薬で無理矢理どうにか元の姿を保っているに過ぎない今の自分は、それに抵抗する術を持ち合わせていない。今ここまで身体が持っていることすらいっそ不思議なのだ。
「それ以上喋ったら昏倒させてでも口塞ぐよ」
重みなんてなさそうな口調のわりに、それが冗談でもなんでもないことは腹が立つくらいに分かった。今なら何も暴力に訴えずとも自分の意識を奪うなんて簡単だろう。まともに抵抗が出来る自信はない。
そんな状態だからこそ怪盗はそんなことを言い出したのだろうが、新一にしてみれば現状が原因だろうが結果だろうが関係なかった。
口がダメならと新一は精一杯相手を睨み上げた。万感の思いを込めて、ここまでコイツにこんなに熱心に気持ちが伝わることを願ったことはないと言うくらいに思いっきり。
「……熱烈な視線だな」
視線に物理的な熱量を持たせることが出来るなら、高密度レーザーにも負けず劣らず。視線で殺されそうだ、と怪盗は笑った。
「『何で此処に』?名探偵が工藤新一であるが故に、かな」
固有名詞と代名詞の用法間違えてないか。
まるで"名探偵"を固有名詞のように扱う相手にどういう意味だ、と顔を顰める。それを汲み取ったのか、相手は補足の言葉を付け加えた。
「自分の無茶は省みない」
他人のこと言えるのかコノヤロー、と胸の中だけで罵った。かといって饒舌な瞳に映らないようになんて無駄な努力はしていないから、きっと相手にも伝わっているだろう。
怪盗はそれを敢えて無視し、これ見よがしに溜息を吐く。
「最初から、自分で行って薬のデータ取って消すつもりだったんだろ」
あっけなく言い当てられた自分の行動に、さすがに新一はばつの悪さを感じて視線を逸らした。
そんななんとも雄弁な行動を取られた怪盗は、呆れた眼差しを新一に注ぐ。
「自分の現状、把握してるならもっと頭使って動けよ名探偵」
「………?」
「事情を知らない公的機関を頼れないなら俺のこと使えばいいだろ」
いつも通りのポーカーフェイスで、なのにその裏になにか渦巻く感情が見える気がする。
しかしながら喉をやられてしまったこの状況でそれを相手に質すのは難しく、新一は訝しげな視線を相手に向けるしか術がない。
それに気付かないはずもないのに、また無視を決め込む怪盗は新一を物陰に座らせてその懐からケータイを探り出した。
「もうデータは取ってきたんだろ?」
頷くことで返事をすると、怪盗は新一のケータイを弄ってどこかへ電話をかけ出した。
その相手は、と言うと。
「あ、博士?」
親しげなその声は、明らかに新一を意識したものだ。
新一のフリをしたまま迎えを頼んで通話を一度切ると、次にかけ出したのはあろうことか捜査協力を買って出てくれた馴染みの刑事当て。
呆然とそのやり取りを聞き送ってしまった新一に、話をつけた怪盗は通話終了ボタンを押したケータイを手の中から消した。
「あっちは話つけたからお前は退場」
「……っ!」
「文句は後で聞いてやるから」
今は黙ってて。
それが痛めた喉を労わっての言葉だと察してしまった新一は、応える言葉が思い浮かばず、仕方なく目を閉じた。
「ありがとう。助かったわ」
意識を失ってしまった新一を寝室に運んで、なにをすることもなく廊下でぼんやりと佇んでいた相手に哀は愛想のないまま礼を言った。
その言葉にただ少し笑った相手は用は済んだと寄りかかっていた壁から背を浮かせる。
「待って」
「なにか?」
笑って。外見は普通の高校生なのに、ただその短い言葉がそれを裏切る。
哀をまるで小学生と扱わない相手に元より被る気もない猫はさっさと追い払う。
「何のつもり?」
「……なにが、ですか?」
「どうしてちょっかい出すの?」
分からないはずない、と言うように答えないまま質問を重ねれば、相手は口元だけに微かに笑みを浮かべた。
その皮肉を含んだような笑い方に哀が顔を顰めると、相手はまた別の笑みを浮かべた。
「あー…。やっぱ微妙」
「……え?」
「この格好でキッドやってるとなんか、な」
苦笑。少し角度を変えただけで、酷く印象が変わる。
「そっちが素、なの?」
「キッドはステージのマジシャン。多少の脚色は必要でしょう」
どちらも素、と言うようにキッドの顔をした彼はぽん、と手の中に小さなピンクローズを取り出して哀に差し出した。
「どうぞ、お嬢さん」
「…ありがと」
どことなく釈然としないまでも、それを突っぱねるのも馬鹿らしくて哀は素直にそれを受け取った。
「それで、どうして手を出すのか、だっけ」
「…えぇ」
さっきまでとは違う、夜色のキッドの影を背負いながら華美な装飾だけを取り去ったような相手に哀は戸惑いながらも頷いた。
「これまでも、貴方何度か工藤君に手を貸したでしょう?」
「ああ。やっぱりバレてたんだ」
「工藤君は言わなかったけど」
ソース不明のわりに、新一の信頼度が高い情報。そんなものを出してくる人間なんて限られている。想像に難くない。
「…どうして、か」
悩むように一度口を噤んだ相手に、哀は訝しげな視線を向けた。
「まさか理由も無しだったなんて言わないわよね」
哀の冷えた言葉に、相手は苦笑して「まさか」と否定する。
「さすがにそこまで慈善家じゃない」
「じゃあ何故?」
「うん…まぁいいか」
少し困ったように宙を彷徨わせた視線を哀に戻して1人頷く相手。
問うように見つめ直すと、相手はようやく答えを口にした。
「工藤新一が好きだから」
あっさりと言われた言葉は、そのわりに真摯で。
それでもその真剣さのわりにあまりにもするりと言われて。
「……そんな理由、なの?」
「え。充分だと思うけど」
「そんな人だったの貴方」
「ハートフルですから」
にこり、と笑って言われた言葉に哀は憮然とした表情を隠すこともなく相手を軽く睨んだ。
その視線を受け止めて、相手はどこか力なく溜息のように言葉を継いだ。
「本当に、好きなんだよ」
「………あぁ、そう」
そのどことなく諦めたような声音に、哀は彼の言っている事がやっと判った気がした。
そしてその意味をきっと新一は理解していないんだろうことも。
「貴方、大変よ」
「覚悟してる」
「ならいいわ。分かったから」
「理解力がある人は本当に助かるよ」
しみじみと。声に滲むような色に気付いて哀はどうしようもなく自分の心配が杞憂だと知らされた。
そして。
「ついでだから事後処理も手伝いなさい」
「元よりそのつもりです」
新一が起きてくる前にできるだけ片付けてしまおう、とでも言うように真面目に頷いた相手に「これは使える」と思った哀は、ついでにしばらく新一の監視も頼もうかと切り替えの早い頭で考えていた。
彼が、工藤邸に入り浸るのも時間の問題。