砂利の混じるアスファルトの地面を蹴る。
喧騒の中にまぎれて尚、後方から聞こえてくる怒声は、そう近くもないが遠ざかる気配もない。
「はう!」
何かにつまずいたのか、勢いよく地面に倒れこんだ小柄な少女。それに気付いて少年は、勢いのついた足に急ブレーキをかける。
「っ大丈夫か!?」
「ゴメン、こーすけ君…」
「いいから早く来い!」
“こーすけ”と呼ばれた少年は、急いで立ち上がった少女の腕を取ってまた走り出す。
雑踏から離れて、狭い路地へ入る。
迷路のように入り組んだ路地を、できるだけ複雑に選んで。
地の利は向こう ――― 追う側にある。それを承知で、彼らは無謀とも言える逃走を続けていた。
乾いた地面は、蹴りつけるたびに砂塵が舞い、足跡は塵に紛れて消える。
「っ…こーすけ君…」
「ちっ!行き止まりか」
崩れかけ、ひびの入ったコンクリートのビルが連なる。それらに囲まれた道で、二人は足を止めた。
どのビルも入り口に扉はなく、ただぽっかりと口を開いている。その先には真昼でも薄暗い廊下が続いていた。
「とりあえず…ビルの中の方が隠れる場所はあるよね」
「ああ」
「もしかしたら、他の道に出口があるかもしれないし」
「…ああ」
迷う暇はない。
行き止まりには変わりないが、立ち止まったままでいるよりはましな選択。
そして2人には、それしか道がなかった。
「捕まって、たまるか…!」
噛み締めるような言葉に頷いて。
2人はまた走り出した。
埃っぽい室内に電子音が短く鳴る。
「おやおや〜?」
元々音の伝わり易い安っぽいコンクリート造りの上に、ほとんど無音に近い暗い室内に場違いなほど明るい声が響いた。
窓のない密閉空間は捻じ切られたり崩れたりした建物の一部で散らかっていたが、そこに少女は明かりもなく立っていた。音源はその手にあるモバイル。
手帳のようなそれを開くと、塵の舞い上がった空中に小さな平面画面のホログラムが投影される。
さっとそれを一瞥した少女は、次に周囲をきょろきょろと見渡した。
「どうかしたのか?」
「わ。いきなり背後を取るなんてびっくりするじゃないですか!」
「あんたの得意技だ。たまに俺が使ったからって怒るな」
「使用料取りますよ?」
「冗談言っていられる状況なのか?」
むっとした顔で振り向いた少女に溜息で返す少年。
呆れながら呼吸のついでのように喋る少年の方はもちろん、語調の強い少女も相手に聞こえる最小限の囁き声。それでも室内に響いてしまうのはどうしようもなかった。
まだ機嫌は直らないらしいが、少女はそれ以上の文句は言わずにモバイルを指し示した。
「誰か近づいてきます。今のところ熱源反応2体。走査範囲拡大しますか?」
「2体…この近さだと仲間同士と見ていいか」
「あ、もう2体テリトリーに増えました」
「…位置関係と移動速度から言って、追う奴と追われる奴か」
「こんなところで追いかけっこしているということは、追う方は"ハンター"さんで間違いなさそうですね」
「問題は追われてる方だな。警察の厄介者かそれとも…」
以下の言葉を省略しても少女には伝わったらしい。つまりその言われなかった言葉の部類に入るなら自分たちにとって厄介という意味。
どちらにしても問題であることに変わりはないが。
「逃げますか?」
「きな臭いことに巻き込まれる前に、と言いたいところだが」
「今出て行くと鉢合わせの可能性大ですね」
「目ぼしい出口がひとつしかないからな」
「待機ですか」
「大人しくな」
諦めを含んだ言葉で釘を差しつつ、少年は崩れ落ちたコンクリートの破片のひとつに座って息を吐いた。
「こーすけ君」
「なんだよ」
「やな予感がする」
「俺も」
走りながら吐き出す言葉は自然短くなっていた。
それは彼らにとって体力的な問題ではなく、この建物の構造的な問題。
小さな囁き声でも長く喋るとギョッとするほどに響く。
それを学習した2人は、極力足音を掻き消し、虫の羽音程度の声で話すことにしていた。
階下で時折する足音と声。明らかに自分たちを追っている奴等の動きが分かるのはありがたい。
ただ、彼らの言う「やな予感」が的中した場合、それは笑っていられるような状況ではなかった。
「まだ廊下走ってるだけだから…確かじゃないけど」
「どっか部屋に入ってみないと分かんねぇって」
「…可能性はある、かな」
瓦礫で見通しの悪い、そして所々で曲がりくねった奇妙な廊下は追われる方にしてみれば隠れる場所にこと欠かず楽は楽。だがだからといって延々と廊下を走り回っているわけにはいかなかった。
「とりあえずドア見つけないと」
「向こう側も瓦礫で塞がってたら開かねぇな」
「…探査機持ってればなぁ…」
「ゼータク言うな。ほらあったぞ、ドア」
赤錆びた金属板の扉にノブはなく、引き戸か押し戸かは分からないが、適当な当たりをつけて少年はそれに走る勢いのままぶつかってみた。
「げ、」
思ったより軽く開いてしまったそれは、表面の錆からは予測もつかないほど滑らかに内側へと少年を引き込む。
「…ったぁ」
「マヌケ…」
後ろから素早く室内へ入り込んだ少女は床に転がったままの少年を見下ろして吐息をつく。
開いた扉は、もう元の位置に音もなく戻っている。
「やな予感、的中かな…」
明かりの差し込まない密室。淀んでいるというよりはただ埃っぽいその部屋の中をざっと見回して、少女は溜息をついた。
「窓がない」
「出口なし…か?」
「…外から見た感じだと、確かこの辺りに窓、あったはずなんだけど」
「だな。他探すか?」
「そうだね」
頷いた少女が踵を返す。
だがすぐに2人は部屋を振り返った。
「……誰だ?」
驚愕。だがそれを表面にはまったく出さずに、目を細めて無人のはずの部屋を睨みつける。
実際誰もいないのなら、ただの滑稽な勘違い。
だが互いに揃って感じたそれを、2人は見過ごすわけにはいかなかった。
聴覚にほんの僅かに引っかかった、人間の息遣い。
そして、数秒後。
「誰何したいのはこっちなんだけどな…」
張り詰めた空気の中にあっさりと入り込んできたのは、諦めを含んだ溜息混じりの声だった。
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同題小説のダブルパロなのですが
まったく同じ話にはならない予定。